ケンドリック・ラマーとベイビー・キームがタッグを組んだニューシングル「The Hillbillies」がリリースされました。Bon Iverの2020年のトラック「PDLIF」のサンプルをベースに作られたこのトラックは、Tyler, the Creatorが少しだけ登場するNeal Farmer監督によるミュージックビデオと共に公開されています。以下よりご覧ください。


キームとラマーはこれまでにも「family ties」や「range brothers」など、多くの楽曲でコラボレーションしている。ベイビー・キームの最新アルバム『The Melodic Blue』は2021年に発売され、ラマーは昨年『Mr.Morale & The Big Steppers』をリリースした。二人とも今週末に開催されるPrimavera Sound 2023に出演する予定です。


 


日本人のカズ・マキノとイタリア人双子のシモーネ兄弟とアメデオ・パーチェによるオルタナティブロックトリオ、ブロンド・レッドヘッドが、9月29日にsection1から発売されるアルバム『Sit Down for Dinner』を発表しました。さらに、リードシングル『Snowman』と合わせて、北米・英国・欧州ツアーを発表しました。


『Sit Down for Dinner』は、ニューヨーク、ニューヨーク北部、ミラノ、トスカーナで5年間かけて作曲・録音され、完璧な構成で、繊細さと明瞭さ、そして決意を込めたアルバムだ。全体を通し、控えめでありながら直感的なメロディーが、大人になってから避けられない葛藤を描いた歌詞に箔を付ける。永続的な関係におけるコミュニケーションの断絶、どちらに向かえばいいのか悩むなど、夢を持ち続けることについて描かれている。


2020年春、牧野はジョーン・ディディオンが2005年に発表した悲嘆の回想録『The Year of Magical Thinking』の一節に出会い、食卓で夫の急死を目撃した衝撃的な体験を振り返っている。


パンデミック初期に起こった深刻な不安の中で、牧野は遠く離れた日本にいる自分の両親のことや、当時失われた家族と夕食を共にする儀式、私たちの誰もが一瞬にして人生が変わってしまうという重く遍在する感覚を考えていた。


その中で、このアルバムのタイトルにもなっている一節がある。「Life changes fast. 人生は一瞬で変わる。夕食の席で、あなたの知っている人生は終わってしまう」


同時に、このアルバムはペース兄弟にとって別の響きをもっている。文化的に、夕食は家族にとって譲れない儀式であり、トリオはリハーサル中やツアー中にそれを忠実に実行することにした。「多くの人は、食べたり走ったり、テレビの前で食べたり、そのことをあまり気にしていないでしょう。でも、私たちは本当に大切に思っています」とシモーヌは言います。「これは、私たちが座って、お互いの時間を持つための瞬間なのです」


このように、人との繋がりを重んずる精神は、Blonde Redheadの生来のハーモニーのセンスにはっきりと反映されている。「私たちには、守り続けてきた言語があります」と牧野は言う。「リズムやコンセプト、サウンドを変えようとする。でも、そのハーモニーの感性は変わらない。心の奥底にある同じ部分に響くんです」


アルバムのオープニング曲「スノーマン」のヴォーカルレイヤーは、スウィングル・シンガーズのバッハのアカペラ演奏にインスパイアされているという。アメデオが歌うこの曲の光り輝くグルーヴとコード進行は、ブラジルの実験音楽の姿勢と爽やかさにインスパイアされたブロンド・レッドヘッドの多くの曲のひとつ。


「Snowman」

 


生きている実感はあるのか、それともただ落ちていくだけなのか? 生きている実感があるのか、それとも転ぶだけなのか。アメデオは、モンテローザ山中でバスに揺られ、乗り物酔いと闘いながら「スノーマン」を書きました。「2つのコードと、その間を行き来するようなメロディーを持つ曲を書こうと思い立った。Snowmanは、目に見えず、発見されないことが、いかに祝福にも呪いにもなりうるか、そして、それは誰もが時に感じ、望むことである、ということを歌っています」


後日掲載致しましたブロンドレッドヘッドのニューアルバム『Sit Down For Dinner』のレビューも是非御一読下さい。

 

先月、カズ・マキノ擁するBlonde Redheadは8年ぶりとなるニューアルバム『Sit Down For Dinner』を9月末にリリースすると発表した。その際、リード・シングル 「Snowman」を発表したが、続いて、ドリーミーな「Melody Experiment」を公開している。

 

「この曲は、2人の人間の会話形式の作品です」とボーカリストのカズ・マキノは声明を通じて説明している。「一人は、自分の感情や行動の意図、誠実さ、結果について疑問を抱いている。彼女はすごく過敏になっている。もうひとりは物事をシンプルに考え、流れに身を任せているんだ。音楽的には、自分自身にとって極めて真実で自然なものを見つけることができました」


「Melody Experiment」

 

来月、Blonde  Redhead(ブロンド・レッドヘッド)は8年ぶりのニューアルバム『Sit Down For Dinner』をリリースする。彼らは、「Snowman」「Melody Experiment」に続き、3枚目のシングル「Before」を公開した。


ボーカリスト、カズ・マキノは、「子供たちの中には、まるで前世を覚えているかのように、物知りな子もいる。「この曲は、若い人のそういう性質を祝福するような曲です」。試聴は以下から。

 

「Before」

 Blonde  Redhead『Sit Down for Dinner』



Label: Section 1

Release: 2023/9/29



Tracklist:

1.Snow Man

2.Kiss Her Kiss Her

3. Not For Me

4.Melody Experiment

5. Rest of Her Life

6.Sit Down For Dinner(Part 1)

7.Sit Down For Dinner(Part 2)

8.I Thought You Should Know'

9.If

10.Via Savona


 Arlo Parks 『My Soft Machine』

 


Label:  Transgressive

Release: 2023/5/26

 

Review

 

2021年のデビューアルバム『Collapsed In Sunbeams』から2年が経ち、アーロ・パークスは様々な人生における変化を起こした。

 

ブリット・アワードの受賞もそうだし、ソールドアウトツアーもあった。そして、海外でのライブを開催する機会にも恵まれた。来日公演時の夏、アーロ・パークスが日本の少し古めかしさのある街角をラフな姿で歩き回る瞬間を目撃したファンもいるかもしれない。そういった人生の広がりがこの二作目のアルバムには反映されているという気がする。また、アーティストは故郷のロンドンを離れ、ロサンゼルスへと活動拠点を移している。そのせいもあってか、この二作目は一作目におけるベッドルームポップの方向性に加え、少なからず西海岸の音楽の気風を反映した作風となっている。それはアーロ・パークスが信奉するインディーロック/オルタナティヴロックや、ロサンゼルスのヒップホップ・カルチャーを彼女自身の音楽性の中に取り入れ、どのような音楽的な変化が起こるのかその目で見極めようとした作品とも解釈出来るのだ。

 

活動拠点を西海岸に移したことは、実際の音楽を巡るテーマにも変化をもたらさないはずがなかった。デビュー・アルバムでは、過去の人生を振り返り、それをどのような形で親しみやすい現代のポップスとして昇華するのかを模索していた。そして事実、最初の作品のテーマは予測以上の成功を収め、瑞々しさのあるサウンドとともに世界中の多くのリスナーの共感を得ることが出来たのだったが、続く2作目では、ロサンゼルスの自然のなかで多くの時を過ごし、ロンドンの生活の変化からもたらされる感覚の変化を、これらのオルトポップの中に織り込もうとしている。新たな変化を追い求めようとしたことは、とりも直さず制作のスローダウンを意味したが、アーロ・パークスにとっては早く作品を生み出すことより、海や山、砂漠を散歩し、その実際の経験からもたらされる感覚をどのように高い精度のポピュラー・ミュージックとして昇華するのかということを最優先したのだった。商業的な成功を上乗せするよりも、また過去の成功にすがることよりも、ミュージシャンであることをアーロ・パークスは選択した。

 

商業的でないというわけではない。しかし、ネオソウルの要素をヒップホップのチョップとして処理した少し甘い感じのあるインディーポップは、オープナーである「Bruiseless」を見ても深みと説得力をましたことが分かる。 そして制作者はロサンゼルスだけに流れている気風をその肌で直に感じ取り、それをなんらかの形でこのアルバムのなかに取り入れようと絶えず模索している気配がある。これがアーティストの背後に遠近法を駆使して青い空を撮したアルバムのアートワークと同じように、前作に比べ、より爽快な雰囲気が加味されたように思える理由なのである。そして全体的に感じ取られる風通しの良さは、実際の音楽と掛け合わさり、清々しい気風を呼び込み、意外なことに、再度到来したデビュー作のような印象を与えもするのである。

 

制作者はデビュー作よりもインディーロックの要素を意図して作品中に織り交ぜようと試みたと話している。かなり詳しいらしく、パークスは、エリオット・スミス、デフトーンズ、スマッシング・パンプキンズをはじめとするオルトロックを好んで聴くアーティストではあるが、これらの音楽的な経験は、オルタナに留まらず、ラップやディスコサウンドという広範な音楽的な経験が収録曲に反映されていることが分かる。「Impurities」では、ターンテーブルのスクラッチの音を散りばめ、それをブレイクビーツとして処理し、緩やかで優雅なサウンドを呼び込んでいる。それに加え、中国風の旋律をシンセ・ポップという観点から加え、ほのかな叙情性を帯びたインディーポップソングとして昇華している。デビューアルバムのベッドルームポップの要素を一歩だけ未来に進め、それよりも深みのある音楽性へとパークスは到達することなった。

 

アーロ・パークスのアーティストとしての新境地は4曲目の「Blades」でわかりやすい形で訪れる。ここでは、懐かしのシンセポップ/ディスコポップの要素を交えた軽快なナンバーを展開させている。内省的なイントロからサビにかけてのそれとは対比的な外向きのエネルギーに支えられた盛り上がりは、アンセミックな響きをもたらし、多くのリスナーの共感を誘うものとなっている。更に、前作にはないスタジオレコーディングでの理想的なサウンドの探究の成果は「Weightless」に見いだすことが出来る。

 

 

アーロ・パークスはこのトラックで聞き手のすぐ近くで演奏しているかのようなリアル感を追求しようとしている。The 1975のマティ・ヒーリーが得意とするような、ソフト・ロックやAORに根ざした軽やかなモダンポップではあるが、スピーカーやヘッドホンで聴いた時、音がすぐ近くで鳴っていて、まるでアーティスト自身が近くで演奏しているようなダイナミックス性を味わうことが出来る。また、The Nationalの最新アルバムを始め、近年、最も頻繁に登場するコラボレーターで、アーロ・パークスが誰よりも大きな信頼を置くフィービー・ブリジャーズが参加した「Pegasus」も刮目すべきトラックとなるだろう。

 

ここでは、パークスの淑やかなボーカルに続いて、二人のボーカルの掛け合いが訪れる瞬間は、なにか息を飲むような雰囲気に充ちている。ここでは、プロのボーカリスト二人の緊張感がレコーディングを通じて感じ取ることが出来る。軽快なバックビートに支えられて繰り広げられるパークスとブリジャーズの両者の相性バツグンのコーラスワークは、アーロ・パークス単独のボーカルトラックよりもさらにキャンディーのような甘酸っぱさが引き出されている。

 

アーロ・パークスの無類のオルタナティヴロックファンとしての姿は、「Dog Rose」の中に捉えることが出来る。シンセと相まって導入されるギターロックのアプローチはおぼつかなさと初々しさがあるが、欠点は必ずしもマイナスの印象を与えるとは限らず、洗練されたロックよりもはるかに鮮烈な印象をもたらす場合もある。サビでは、インディーロック調の盛り上がりへと変化するが、テンションのピークはすぐに抑制され、旧来のベッドルームポップの心地よい緩やかなフレーズへと直結する。この曲を聴くと分かるが、他のトラックと同様に広範なジャンルを取り入れてはいるが、アーロ・パークは和らいだポップスの理想形を探そうとしている。

 

また同じく、ちょっとミステリアスな雰囲気を擁する「Puppy」では、アーロ・パークスというアーティストを形成する要素のひとつであるベッドルームポップに加え、もうひとつの要素であるドリーム・ポップの要素を見出すことが出来るはずだ。アーロ・パークスは、ここでマイ・ブラッディ・バレンタインのシューゲイズの影響を反映させ、それをやはりアルバムの序盤の収録曲と同じように、和らいで、まったりとした、親しみやすいポップスに昇華している。しかし、そのトラックの背後には、ポーティス・ヘッドに象徴されるブリストルのトリップ・ホップやUKラップの影響もわずかに漂っている。これは捉え方によっては、ロサンゼルスへ転居したパークスの故郷ロンドンへの密やかなノスタルジアが表されているとも解釈出来る。

 

その後にも、ポップスという観点からダブステップを再解釈した「I'm Sorry」では、アルバム全体に通底する「ブラインドからのぞく」というアーティスト独自の考えが表明されている。そのフレーズは実際の歌詞の中にも現れ、そこには表向きな文化的な概念ーー音楽や人々ーーに対するアーロ・パークスの困惑や躊躇に類する感覚が見て取れる。アーロ・パークスも今より善良な人間になるべく、理想とする存在に近づくための道筋をつけようとしている。こういった前向きな考えは、彼女の音楽に触れる人々に対して良い影響を与える。「My Soft Machine」の終盤まで、自己の探究と外側の世界にどのように折り合いをつけるかというパークスの思索は続く。クローズド・トラック「Ghost」でもその内なる探究は終わることがない。 


 

82/100

 


オーストラリアのロックバンド、King Gizzard & The Lizard Wizardが、Highway Holidaysでのライブで披露した「Gaia」の10分間に及ぶパフォーマンスをストリーミングを公開しました。オリジナルバージョンは2022年のアルバム『Omnium Gatherum』に収録されています。


King Gizzard & The Lizard Wizardといえば、近日発売予定の新譜『PetroDragonic Apocalypse; or, Dawn of Eternal Night』からスラッシーなニューシングル「Gila Monster」をドロップしたばかりです。ニューアルバム「惑星地球の消滅と無慈悲な天罰の始まり」は6/16に発売されます。公式サイトではソールドアウトとなっています。


「Gaia」

 



Depeche Modeは、3月にColumbia Recordsから発売されたニューアルバム『Memento Mori』に収録されていた「Wagging Tongue」のビデオを公開しました。ミュージックビデオの監督はThe Sacred Egg、クリエイティブディレクションはAnton Corbijnが担当しています。以下からご覧ください。

 

プレスリリースによると、このビデオは "対人コミュニケーションを支配するルールが厳格でシュールな映画的宇宙を舞台にしている "とあります。そして、「人里離れた小さな村に住む若いカップルが、隣人たちと対立する儀式に参加し、弁護士、ビジネスマン、牧師、警官、さらにはデペッシュ・モードのマーティン・ゴアとデイヴ・ガハンなど、あらゆる階層の参加者を引きつける」というストーリーが描かれているそうです。


『Memento Mori』は、2022年5月に60歳で他界したバンドのアンディ'フレッチ'フレッチャーの死後、初めてリリースされるデペッシュ・モードのアルバムである。昨年10月に発表された。


フレッチャーはこのアルバムの制作に携わっていた。『メメント・モリ』はバンドにとって15枚目のスタジオ・アルバムで、2017年の『スピリット』に続く作品である。メメント・モリ』ツアーは、バンドにとって5年ぶりのツアーとなり、バンド全体では19回目のツアーとなる。フレッチャーの死去により、デペッシュ・モードの正式なラインナップはデイヴ・ガハンとマーティン・ゴアとなった。


ゴアは以前のプレスリリースで、このアルバムについてこのように語っています。私たちはパンデミックの初期にこのプロジェクトに取り掛かり、そのテーマはその時に直接インスピレーションを受けたものだった。フレッチが亡くなった後、私たちは、これが彼の望んだことだと確信し、このプロジェクトを続けることにしました。ガハンは、「フレッチもこのアルバムを気に入っていただろう。もうすぐ皆さんと共有できることを本当に楽しみにしています」と付け加えた。


 Water From Your Eyes 『Everyone’s Crushed』

 

Label: Matador

Release: Matador

 




Review 

 

SFのようなコミカルな世界観、AKIRA風のアニメーションのアルバムジャケットとMV、エレクトロニックの周りを縦横無尽に駆け巡る次世代のシンセ・ポップ。今年、マタドールと契約を結んでニューアルバムを発表したネイト・エイモスとレイチェル・ブラウンによるWater From Your Eyesには様々な呼称が与えられて然るべきだろう。とにかく彼らが志すのは、次世代のシンセ・ポップで、近未来のエレクトロニックである。しかし、その中にはB級映画のようなニッチな二人の興味や好奇心が取り巻き、それらがなんとも良い味を出しまくっているのである。

 

デュオの音楽性には、YYY'sのローファイっぽさやカレッジロックの影響も少しだけ見受けられるが、シュットゥックハウゼンのセリアリズムのような実験的な電子音楽とも無縁ではないことはオープニングを飾る「Structure」を見ると分かることだろう。かつてのオルタナティヴのようにちょっとしたひねりを加えたシンセサイザーのシークエンスに浮遊感のあるネイト・エイモスとレイチェル・ブラウンのボーカルがたゆたう。それはいくらかチープではあるのだけれど、その一方で聞き手をその音の擁する世界に惹き込む力を持ち合わせているのだ。

 

X-Ray Specsを彷彿とさせる一昔前のレトロな感じのシンセにR.E.Mのカレッジ・ロックの渋さを加味した「Barley」は、新たな時代のSFポップの台頭を予感させる。フラッシュ映像のように切り替わるフレーズは、クラフト・ワークやデペッシュ・モードに対する親和性もあり、テクノの次世代にあるポスト・テクノを体現している。レイチェル・ブラウンの声はバックトラックにパンチを加え、ポスト・パンクのような風味をもたらす。それがスチームパンクのようなコミカルな雰囲気を生み出すことに成功している。

 

その後、アルバムはよりポストパンク性の強い展開へと結びつき、「Out There」では同じようにレトロな音色のリードシンセとディスコポップを融合させ、聴きやすく親しみやすい音楽で初見のリスナーを魅惑する。金属的なパーカッションはシンセで構成されるが、ここにデュオの『No New York』に近い旧来のニューヨークのナンセンスなポスト・パンクへのコアな偏愛も読み解くことが出来る。さらにこの曲で手の内をさり気なくみせておいた上で、ノイズパンクの要素は「Open」でより顕著になる。ここではUKのニューウェイブに対するNYのノーウェイブの残映を旧来のリスナーは捉えることに成功することだろう。しかし、それは実験的ではあるが、その音楽は飽くまでポピュラーミュージックの範疇に留められていることが肝といえるのだ。

 

同じく、ジャーマンテクノをギターロックという観点から捉えた「Everyone's Crushed」でこのアルバムの楽しさは最高潮に達する。ディオは自分たちのコアな趣味を交えながら、それらにコミカルな要素をまぶすことでSFポップの新境地を開拓している。グルーブ感のあるベースラインに続いて、レイチェル・ブラウンの程よく力の抜けたスポークンワードに近いボーカル、シンセ・ストリングスのピチカート、パンチの聴いたギターのリフは曲の中盤にかけて跡形もなく解体されていき、やがてギターとブレイクビーツが混沌としたノイズの中に曲そのものを飲み込んでいき、その最後はそれ以前の要素を一緒くたにしたドイツ・インダストリアルのごとく尖ったカオティックな実験音楽風の終盤の展開に直結してゆく。音楽性のニュアンスはかつてのNYのノーウェイヴのようにナンセンスではあるのだが、奇妙なほどその音楽には親しみやすさがある。それはデュオは現実性というよりも、現実の中にあるコミカルさを鋭く抉ってみせているからなのだろう。


再び、その後、最もノイジーなポストパンクの最深部へと達する「True Life」もまたデュオがNYのノーウェイヴの最後の生き残りであることを示すとともに、現代のポスト・パンクの刺激的な瞬間を刻印している。ノイズ・アヴァンギャルドとして最もパンチの聴いたトラックとして楽しめるはずだ。


アルバムの終盤になると、中盤までのポスト・パンクデュオとしての性質はいくらか薄れ、「14」には現代音楽に近いアプローチが取り入れられている。ストリングスとシンセサイザーのオシレータートーンが織りなす奇妙なエモーションは、レイチェル・ブラウンの同じような繊細かつふてぶてしさのあるボーカルにより、ダイナミクスは最大限に高められていく。このトラックはアルバムの中でもデュオがアヴァン・ポップに最接近した瞬間となろう。しかし、そのドラマティックな展開も束の間、最後の「Buy My Product」ではふてぶてしいポスト・パンクへと立ち返るのが素晴らしい。センスのみならず実力も兼ね備えたブルックリンのデュオの最新作に注目すべし。

 

 

80/100

 

 

Featured Track「True Life」

 


2023年5月28日(日)夜、ドイツ、フランクフルトで行われたロジャー・ウォーターズのコンサートに対して、ユダヤ人団体、政治家、市民団体の連合が集まり、記念式典と抗議集会を行いました。彼らは、ピンク・フロイドの共同創設者を反ユダヤ主義で非難していますが、彼はその主張を否定しています。

 

このコンサートは、1938年11月に3000人以上のユダヤ人がナチスによって検挙され、殴打や虐待を受け、後に強制収容所に強制送還された同市のフェストハレで開催されます。


フランクフルトのユダヤ人コミュニティの一員であり、抗議行動を組織した団体「Honestly Concerned」の代表であるSacha Stawski氏は、「このような歴史的背景から、コンサートはどんなことがあっても開催されるべきではなかった」と述べています。


これらの抗議活動を支援するユダヤ人団体WerteInitiativeの代表であるエリオ・アドラー氏は、AP通信に対し、「フランクフルト当局や他の多くの人々が阻止しようとしたにもかかわらず、コンサートが予定通り行われるのは非常に悔しいことだ」と語りました。「彼の言葉やイメージはユダヤ人への嫌悪を広め、言論の自由や芸術の保護の下にイスラエル嫌いを常態化させるという傾向の一部となる」とアドラー氏は付け加えた。


先週、ベルリンの警察は、ピンク・フロイドの共同創設者が今月初めにドイツの首都で公演した際に着用した衣装について、扇動の疑いでウォーターズ氏の捜査を開始したと発表した。ソーシャルメディアに掲載された画像には、ウォーターズが赤い腕章をつけた黒いロングコートに身を包み、模造のマシンガンを発射する様子が写っていた。警察は、この衣装がナチスの支配を賛美、正当化、承認し、公共の平和を乱すものであるとの疑いで捜査が開始されたことを確認しました。


ウォーターズはFacebookとInstagramで声明を発表し、「私のパフォーマンスのなかで疑問視されている要素は、あらゆる形態のファシズム、不正、偏見に反対する声明となっている」と述べ、これらの非難をかわしました。さらに彼は、「これらの要素を別のものとして描こうとする試みは、不誠実で政治的な動機がある」と主張しています。


ウォーターズのコンサートが始まる前にフランクフルトのコンサート会場前で行われた日曜日の式典と抗議行動では、ナチスがドイツとオーストリア中のユダヤ人を恐怖に陥れた、いわゆる水晶の夜と呼ばれる1939年11月9日にフェストハレに集められた600人のユダヤ人の名前を、抗議者たちが大声で読み上げました。また、主催者はフランクフルトで、ナチスのテロ犠牲者のためにユダヤ教徒とキリスト教徒の共同祈祷を行いました。今後、この抗議活動では、同市の市長と地元のユダヤ人コミュニティの代表が演説することになっています。


また、約400人のデモ参加者の中には、コンサートの来場者にチラシを配ったり、イスラエルの旗を振ったりする人もいました。また、ピンク・フロイドの名曲「Wish You Were」にちなんで「Israel, we stand with you」「Roger Waters, wish you were not here」などのスローガンを書いたバナーを掲げる人もいたとドイツの通信社dpaは伝えています。


ミュンヘンでは今月初め、ロジャー・ウォーターズのコンサートに反対するデモ隊が集結した。市議会は、公演を禁止する可能性を検討したが、主催者との契約を解除することは法的に不可能であると結論づけたという。


昨年、ポーランドのクラクフ市では、ウォーターズ氏がウクライナ戦争でロシアに同調する姿勢を示したため、ライブを中止している。

 

Morton Feldman

モートン・フェルドマンの「ロスコ・チャペル」は、ヴィオラ独唱、アルト独唱、ソプラノ独唱、混声合唱、チェレスタ、バスドラム、チャイム、ゴング、テナードラム、ティンパニ、ヴィブラフォン、ウッドブロックで構成される打楽器のためのスコアです。この曲は合唱を中心にした現代音楽の一つで、今でも米国の楽団や合唱団などが様々な解釈を行い、再演に挑んでいます。


米国の現代音楽家であるモートン・フェルドマン(1926-1987)は、1971年、テキサス州ヒューストンにあるメニル財団から一般に贈られた同名の建物のために、「ロスコ・チャペル」を作曲した。そもそもロスコ・チャペルは、メニル財団がアメリカの抽象表現主義の画家マーク・ロスコ(1903-1970)に依頼した14枚の巨大キャンバスを収蔵・展示するために設計されました。



ロスコもフェルドマンも、絵画では自意識過剰なモダニズム(ポップ・アートなど)、音楽では12音のアカデミックなシリアリズムという、一般的な、あるいは少なくとも最も話題になっている芸術傾向を受け入れることを避けていました。しかし、ロスコの絵画やフェルドマンの音楽が持つ挑戦的な(あるいは無神的な)性質は、多くの人に、20世紀半ばの芸術が「皇帝の新しい服」に過ぎなかったのか、という問いに直面させることになる。


ロスコ礼拝堂は、ドミニクとジョン・ド・メニル夫妻が構想し、資金を提供した多くの文化プロジェクトの一つである。


ドミニクはパリに生まれ、シュルンベルジェ社(Schlumberger Limited)の石油製品製造設備の資産を受け継いだ。ソルボンヌ大学で数学と物理学を学び、映画製作に興味を持ったドミニクはベルリンに渡り、『ブルーエンジェル』の撮影中、ジョセフ・フォン・スタンバーグの脚本助手として働きました。というのも、トーキー映画の黎明期には、「台詞の置き換え」ができなかったから(『ブルーエンジェル』は1929年末から1930年初頭にかけて撮影され、ドイツ初の長編トーキー映画となった)。そのため、すべてのシーンをドイツ語と英語の2回に分けて撮影する必要があった。


1944年、フランスが崩壊し、ナチスに占領されると、ドミニクは銀行家の夫ジョンとともにアメリカに移住し、テキサス州ヒューストンに定住しました。ドミニクはカトリックに改宗しており、夫とは精神性と芸術のクロスオーバーに強い関心を抱いていた。その代表的な例が、宗教を超えた礼拝堂とそこに飾られたマーク・ロスコの絵画、そして、その空間にインスピレーションを受け、そこで聴くことを意図して依頼したモートン・フェルドマンの音楽作品である。これはまた一般的に現在では盛んなインスタレーションの先駆けと指摘される場合もある。なぜなら、そこには空間と音の融合という二つの芸術形式の混淆が見出せるからである。


    


1947年、ハリー・トルーマン大統領は、国務省が巡回展のために購入したあるモダニズム絵画を見たとき、「これがアートなら、私はホッテントットだ」とコメントしたというエピソードが残っています。ホッテントットとは今や廃れてしまった侮蔑的な意味で用いられる呼称であった。1947年といえば、ニューヨークのジャクソン・ポロックが「ドリップ」技法の実験を始めた時期だが、この展示会にポロックのドリップキャンバスが含まれていたとは思えない。しかし、国務省の新しい絵画がどんなものであれ、トルーマンの印象には残らなかったし、この作品をアートとは考えなかったのだ。


"ごく普通の人 "は、視覚芸術を評価する基準として、むしろ保守的かつ伝統的な(あるいは常識的な)基準を持っている。しかし、ハリー・トルーマンの基準と、イタリア・ルネッサンス期の王子やオランダ黄金期(1570-1650年頃)の商人の基準には、大きな共通点があるように思えるのです。


作品が高品質な素材で作られ、ひときわ高価な素材で強化(価値付け)される。もちろん、水彩画ではなく油絵(あるいは木炭によるスケッチ)がゴールドスタンダードである。油絵は精巧な金箔のフレームがなければ、想定される観客や購入者には裸のように見えるだろう。


もちろん、これらの要因によって、芸術を支援するパトロンが支払っているものが何なのかというパンドラの瓶が開いてしまいますが、この議論ではそれほど重要ではありません。事実、視覚芸術には階層があり、世界中のほとんどの大規模な美術館でそれを見ることができます。


観客にとって意味のある、実在するものを忠実に表現している、部屋、人、馬、犬、風景、友人のグループに属する表現芸術は、長い間、西洋の美術品のコレクター、たとえ、経済的に不自由な大学生であっても、かつては部屋の壁にそれらを飾りたがったものです。例えば、ゴッホの「星月夜」や「ひまわり」が何百万回も複製品として売られているのは、「人々が共感できる(あるいは投影できる)ものを表しているから」なのです。


米ヒューストンにあるロスコ礼拝堂の巨大な暗黒のキャンバスは、マルセル・デシャンの次の世代の空間芸術に位置づけられますが、特にスペインのカトリシズムを思い起こさせる。この点で、特にフランシスコ・デズルブランが思い浮かぶ。彼のシンボル満載の静物画「Still Life with Lemons, Oranges and a Rose」は、モーテン・ローリセンの鎮魂歌「Lux Æterna」に影響を与えた。

Gia Margaret

 

シカゴ出身のピアニスト/アーティスト、ジア・マーガレットは、2018年に発表した素晴らしいデビュー作『There's Always Glimmer』に続いて、ちょっと意外な作品をjagujaguwarから発表した。


これは『Glimmer』のリリースとその後の成功後、ジアの人生における試練の時期から生まれた美しく瞑想的で癒しのアンビエント・アルバムです。病気で1年近く歌えなくなり、ツアーもキャンセルせざるを得なくなったジア・マーガレットは、シンセとピアノを中心とする、さまざまなファウンドサウンドやフィールドレコーディングを加えたインストゥルメンタル曲を、セラピーとしての音楽実験のような形で作り始めた。


「これらの作曲は、音楽制作者としてのアイデンティティを保つのに役立ちました」とジアは説明している。「時にはこの音楽は、セラピーや他の何かよりも、私の不安を和らげてくれた...。私は希望が持てるようなものを作りたかったんだけど、このプロセス全体において私は本質的に絶望感を感じていたからちょっと皮肉ね。私は自己鎮静のために音楽を作っていたのです」


その結果、光り輝く、温かく感情的で、穏やかなカタルシスをもたらす曲のコレクションは、ジア自身の自己治癒の旅を楽にしてくれ、私たちがこの怖い不確かな時代を乗り切ろうとするとき、新たなレベルの親近感と重みを帯びてくる。「私の人生の中で、完全に忘れてしまいたいような、本当に奇妙な時期の感覚をとらえたかったのです」と彼女は言った。「このプロセスは、私自身について何かをより深く理解するのに役立ちました」これは「悪夢の追体験のようだった」と回想する数年前の出来事から完全に立ち直るためには是非とも必要な事だったのだ。


「ロマンティック・ピアノ」は、エリック・サティ、エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゲブロウ、高木正勝の「Marginalia」などに通じるものがあると説明されている。「ロマンティック」はドイツの古典的な意味を示唆し、その構成は、ロマン派の詩人たちの崇高なテーマ、自然の中での孤独、自然がもたらす癒しや教え、満足感に満ちたメランコリーなどを想起させるものがある。


「結局は、人の役に立つ音楽を作りたかったのです」とマーガレットは言い、このレコードの魅力を表現している。「ロマンティック・ピアノ」は好奇心旺盛で、落ち着きがあり、忍耐強く、信じられないほど感動的である。しかし、1秒たりとも曲を長引かせ、冗長に陥らせることはない。


デビュー作「There's Always Glimmer」もまた叙情的で素晴らしい内容だったが、ツアー中の病気で歌えなくなり、アンビエントアルバム「Mia Gargaret」を制作したところ、「There's Always Glimmer」の叙情的な曲では発揮しきれなかったアレンジや作曲に対する鋭い直感が現れた。


同様に「Romantic Piano」もほとんど言葉がない。「インストゥルメンタル・ミュージックの作曲は、一般的に、叙情的な曲作りよりもずっと楽しいプロセスです」と、彼女は言う。「そのプロセスが最終的に私の曲作りに影響を与える」そして、マーガレットにはもっとソングライター的な作品がある一方で、「Romantic Piano」は彼女を作曲家として確固たるものにしている。


幼少期からピアノを演奏しており、当初は作曲の学位を取得しようとしていたマーガレットだったが、音楽学校を途中で退学する。この時期について、「オーケストラで演奏するのが嫌で、映画音楽を書きたかった。そして、ソングライターになることに集中するようになった」と語っている。その後、ジア・マーガレットは録音を行い、youtubeを通じて自分のボーカルを公開するようになる。当初はbandcampで作品の発表していたが、その成果は「Dark & Joy」で実を結んだ。以後の「There's Always Glimmer」からは自らの性質を見据え、本格的な作品制作に取り掛かるようになる。近年は、より静謐で没入感のあるアンビエントに近い作風に転じている。

 

 

『Romantic Piano』jagujaguwar

 

ツアー中の病により、治癒の経過とともに発表された前作アルバム『Mia Margaret』は、オープナーのバッハへの『平均律クラヴィーア』の最初の前奏曲のオマージュを見ても分かる通り、シンセを通じたクラシカルミュージックへのアプローチや、フィールド・レコーディング、ボーカルのサンプリングを織り交ぜたエレクトロニカ作品に彼女は取り組むことになった。制作者は、この音楽について、”スリープ・ロック”と称しているというが、電子音楽を用いたスロウコア/サッドコアや、オルタナティブ・フォーク、ポピュラーミュージックの範疇に属していた。

 

そして、今回のアルバムでも、そのアプローチが継続しているが、今作は、アコースティクピアノという楽器とその演奏が主役にあり、その要素がないわけではないにしても、シンセ、アコースティックギター、(他者のボーカルのサンプリング)が補佐的な役割を果たしている。そして前作アルバムと同じように、制作者自身のボーカルが一曲だけ控えめに収録されている。

 

このアルバム全体には、鳥の声、雨、風、木の音といった、人間と自然との調和に焦点を絞ったフィールド・レコーディングが全体に視覚的な効果を交え、音楽の持つ安らいだムードを上手に引き立てている。アルバムの制作段階で、制作者はピアノを用い、(まずはじめに楽譜を書いて)、その計画に沿って演奏するという形でレコーディングが行われた。前作のアルバムは、最初にボーカリストとしてのキャリアを始めた彼女が立ち直るために制作されたと推測出来る。しかし、二作目で既にその遅れを取り戻すというような考えは立ち消え、より建設的な音楽としてアルバムは組み上げられた。それは制作者が語るように、「人の役に立つ」という明確な目的により、緻密に構築されていった作品である。それはもちろん、制作者自身にとっても有益であるばかりか、この音楽に触れる人々にも小さな喜びを授けることになるだろう。言い換えれば、氾濫しすぎたせいで見えづらくなった音楽の本当の魅力に迫った一作なのである。

 

人間と自然の調和というのは何なのだろう。そもそも、それは極論を言えば、人間が自然を倣い、自然と同じ生き方をするということだ。ある種の行動にせよ、考えにせよ、また長いライフプランにせよ、背伸びをせず、行動はその時点の状況に沿ったものであり、無理がないものである。例えば、それは木の成長をみれば分かる。木は背伸びをしない。その時々の状況に沿って、着実に成長していく。苗が大木になる日を夢見ることはない。なぜなら他の木と同じように、大きな勇ましい幹を持つ大木に成長することを、彼らは最初から知っているではないか。それと同じように、この回復の途上にある二作目のアルバムの何が素晴らしいのかと言えば、音楽に無理がなく、そして、音の配置の仕方に苦悩がないわけではないというのに、制作者はそれに焦らず、ちっとも背伸びをしようとしていないことなのである。これが端的に言えば、「Romantic Piano」に触れる音楽ファンに安らいだ気持ちを与える理由である。はじめに明確な主題があり、そして計画があり、それに準拠することにより、 ささやかな音楽の主題の芽吹きを通じ、創造という名の植物が健やかに生育していく過程を確認することが出来るのである。


「Hinoki Woods」


自然との調和という形はオープナーである「Hinoki Wood」に明確に表れている。シンセサイザーを用いた神秘的なイントロから音楽が定まっている。制作者は、予め決めていたかのように、緩やかで伸びやか、そして情感を込めたピアノ曲を展開させる。ピアノの音のプロダクションは、レーベルが説明するように日本のモダンクラシカルシーンで名高い高木正勝の音作りにも近似する。加えて、徹底して調和的なアンビエント風のシンセがその音の持つ温もりをより艷やかなものとしている。そして聴き始めるまもなく、あっという間に終了してしまうのである。

 

すべての収録曲が平均二分にも満たない細やかな作品集は、このようにして幕を開ける。そして、なにか得難いものを探しあぐねるかのように、聞き手はこの作品の持つピアノの世界へと注意を引きつけられ、その世界の深層の領域へと足を踏み入れていくことを促されるのである。そして二曲目の「Ways of Seeking」では、より視覚的な効果を交えたロマンティックな世界観が繰り広げられていくことになる。


二曲目では、足元の土や葉を踏みしめる足音のサンプリングが聞き手の興味を駆り立て、前曲と同様、シンセサイザーの連続した音色と合わさるようにして、ロマンティックなピアノが切なげな音の構図を少しずつ組み立てていく。ピアノのフレーズは情感に溢れ、ドビュッシーのような抽象的な響きを持つ。催眠的なシンセは、そのピアノのフレーズの印象を強め、それまでに存在しなかった神秘的な扉を静かに押し開き、フレーズが紡がれるうち、はてしない奥深い世界へと入り込んでいく。また、例えれば、茫漠とした森の中にひとり踏み入れていくかのような不可思議なサウンドスケープが貫かれている。ピアノとシンセの合間には高い音域のシンセの響きが取り入れられ、視覚的な効果を高め、聞き手の情感深くにそれらの音がじっくり染み渡っていくかのようである。

 

その後も素朴で静かなピアノ曲が続く。「Cicadas」では、Peter Broderick(ピーター・ブロデリック)のピアノ曲のように抽象的でありながら穏やかな音の構成を楽しむことが出来る。ピアノの音は凛とした輝きを持ち、建築学の構造学的な興味を駆り立てるような一曲である。もちろん、言わずもがな、ロマン派としての情感は前曲に続いて引き継がれている。イントロに自然の中に潜む虫の音のサンプリングを取り入れ、情景的な構造を呼び覚ます。まるで前の曲と一転して夜の神秘的な森の中をさまようかのように、それらの静かな雰囲気は、ジア・マーガレットの悩まし気なピアノの演奏によって引き上げられていく。そして、ひとつずつ音符を吟味し、その音響性を確認するかのように、それらの音符を縦向きの和音として、あるいはまた横向きの旋律として、細糸を編みこむかのようにやさしく丹念に紡いでいく。そしてそれはボーカルこそないのだが、ピアノを通じて物語を語りかけるような温和さに満ちているのである。

 

その後の2曲は、澄明な輝きと健やかな気風に彩られた静謐なピアノ曲という形で続いていく。「Juno」はアルバムの中で最もアンビエントに近い楽曲であり、自然との調和という感覚が色濃く反映されている。ジア・マーガレットはシンプルでおだやかな伴奏を通じて、「間」を活かし、その休符にある沈黙と音によって静かな対話を繰り返すかのようでもある。そして、禅の間という観念を通じて、自らそれをひとつの[体験]として理解し、その間の構造を介して、一つの緩やかな音のサウンドスケープを構成していく。


曲の後半部では、シンセのサウンドスケープを用いることにより、微笑ましいような情感が呼び覚まされ、聞き手は同じように、その安らいだ感覚に釣り込まれることになるだろう。さらに続く、「A Strech」は、日本の小瀬村晶に近い繊細な質感を持った曲であり、日常の細やかな出来事や思いを親しみやすいピアノ曲に織りこもうとしている。分散和音を基調にしたピアノの演奏の途中から金管/木管楽器の長いレガートを組みあわせることで、ニュージャズに近い前衛的かつ刺激的な展開へと繋がる。


「A Stretch」

 


前作のアルバムと同じように、ボーカル入りのトラック「City Song」が本作には一曲だけ控えめに収録されている。しかし、タイトルにもある通り、アルバムの中では最も都会的な質感を持ち合わせ、そして他にボーカル曲が収録されていないこともあってか、全体を俯瞰してみた際、この曲は力強いインパンクトを放っている。



アルバムの前半部と同様、ピアノの伴奏を通じて、ジア・マーガレット自身がボーカルを取っているが、オルトフォーク/アンビエントフォークのようなアプローチを取り、古びたものをほとんど感じさせない。ジア・マーガレットのボーカルは、Grouperことリズ・ハリスのように内省的で、ほのかな暗鬱さを漂わせる。不思議とその歌声は心に染み渡ってくるが、しっかりと歌声に歌手の感情が乗り移り、それらが完全に一体化しているからこそ、こういったことが起こりうるのだ。当たり前ではあるが、歌を歌う時に言葉とは別のことを考えていたら、聞き手の心を捉えることは不可能である。これはシンガーソングライターとして声を失った経験が、彼女にその言葉の重み、そして、言葉の本当の意義を気づかせるに至ったのではないだろうかと推察される。

 

「Sitting Piano」はアルバムの中で間奏曲のような意味を持ち、米国のモダンクラシカルシーンで活躍するRachel Grime(元Rachel's)のピアノ曲を彷彿とさせる。例えば、20世紀のモノクロ時代の映画のサウンドトラックの要素が取り入れられ、それが製作者の一瞬のひらめきを具現化するような形で現れる。前半部と後半部を連結させる働きを持つが、おしゃれな響きを持ち合わせ、聴いていて、気持ちが沸き立つような一曲となっている。続いて、アルバムの中で唯一、ジア・マーガレットがギターを通してオルトフォークに取り組んだのが「Guitar Piece」である。

 

ここでは、黄昏の憂いのような雰囲気があらわされ、それがふと切ない気持ちを沸き起こらせる。シンプルなアルペジオで始まるアコースティックギターは途中で複雑な和音を経る。英語ではよく”脆弱性”とも称される繊細で切ない感覚は、レイヤーとして導入されるアンビエントのシンセパッドとピアノの装飾的なフレーズにより複雑な情感に導かれる。内省的で瞑想的な雰囲気に満ちているが、その奇妙な感覚は聞き手の心に染み入り、温かな感覚を授けてくれる。


「La langue de l'amitie」では、モダンクラシカルとエレクトロニカの融合が試みられる。基本的には、アルバムの他の収録曲のようにシンプルなピアノ曲ではあるが、トラックの背後にクラブ・ミュージックに代表される強いビートとグルーブ感を加味することで、クラシカルともエレクトロともつかない奇異な音楽が作り出される。


ここではローファイ・ヒップホップのように、薄くフィルターを掛けたリズムトラックが軽快なノリを与え、シンプルで親しみやすいピアノの演奏にグルーブ感を与えている。例えば、日本のNujabesのようなターンテーブル寄りの曲として楽しむことが出来る。ここにはピアノ演奏者でもソングライターでもない、DJやエレクトロニックプロデューサーとしての制作者の一面が反映されている。


アルバムの終盤に到ると、前作の重要なテーマであったスポークンワードのサンプリングという形式が再び現れる。「2017」では、ポスト・クラシカルの形式を選び、多様な人々の声を出現させる。そこには、壮年の人の声から子供の声まで、幅広く、ほんとうの意味での個性的な声のサンプリングが絵画のコラージュさながらに散りばめられ、特異な音響空間を組み上げてゆく。年齢という概念もなければ、人種という概念もない。ピアノの伴奏は、それらのスポークンワードの補佐という形で配置され、様々な人々の声の雰囲気を引き立てるような役割を果たす。

 

「Apriil to April」は、エイフェックス・ツインの「April 14th」に対するオマージュであると推察されるが、ピアノの演奏にエレクトロの要素を重複させ、実験音楽のような音響性を作り出している。Aphex Twinの「aisatosana[102]」と同じように、鳥の声のサンプリングを取り入れ、アンビエントとエレクトロの中間点を探る。この曲は前者の二曲と同様に安らいだ感覚を呼び覚ます。


アルバムの最後に収録されている「Cinnamon」では、雨の音のサンプリングをグリッチ・ノイズの形で取り入れ、このアルバムの最初のテーマであるピアノの演奏に立ち返る。おしゃれな雰囲気に充ちたこの曲は、視覚的なサウンドアプローチにより映画のエンディングのような効果がもたらされている。そして、それはアルバムの序盤と同じように、徹底して制作者自らの感情を包み込むかのような温かさに満ちている。もちろん、それは細やかな小曲という形で、これらの音の世界は一つの終わりを迎え、更に未知なる次作アルバムへの期待感を持たせるのだ。


しかしながら、これらの調和的な音楽が、現代の人々に少なからず癒やしと安心感をもたらすであろうことはそれほど想像に難くない。それは現代人の多くがいかに自分の感覚を蔑ろにしているのかに気づく契機を与えることだろう。このアルバムでピアノを中心とし、制作者が追い求めた概念はきっと自らの魂を優しく抱きしめるということに尽きる。そしてそれは彼女自身が予期したように、多くの心に共鳴し、癒しと潤いの感覚を与えるという有益性をもたらすのだ。

 


88/100

 


Weekend Featured Track 「City Song」



Gia Margaretの新作アルバムはjagujaguwarより発売中です。

 

 

米国のシンガーソングライター、Meshell Ndegeocello(シェル・リン・ジョンソン)は、Jeff ParkerのブルージーなギターラインとJustin Hicksのボーカルをフィーチャーした、Sly Stoneに影響を受けた新曲「Clear Water」を、Ndegeocelloのバンドがスタジオで演奏する魅力あるライブ映像とともにリリースしました。ライブ映像は下記よりご覧いただけます。

 

「Clear Water」は、マルチ・インストゥルメンタリスト、シンガー、ソングライター、プロデューサーであるミシェル・ンデゲオチェロのブルーノート・デビュー作「The Omnichord Real Book」を飾る最新シングルで、彼女の音楽のルーツを幅広く取り入れた先見性のあるアルバムとして6月16日に発売されます。このアルバムには、ジェイソン・モラン、アンブローズ・アキンムジール、ブランディー・ヤンガー、ジュリアス・ロドリゲス、マーク・ギリアナ、コーリー・ヘンリー、ジョーンアズポリスウーマンなどのゲストアーティストが参加しています。


「このアルバムは、古いものを新しい方法で見る方法についてです」とミシェル・ンデゲオチェロは、『オムニコード・リアルブック』についてこう語っている。「両親が亡くなったとき、すべてが急速に動いた。両親の死後、すべてが急速に変化し、自分自身に対する見方が瞬く間に変わりました。両親の遺品を整理しているうちに、父がくれた最初のリアルブックを見つけたんだ。そして私は彼らの記録を手に入れた。私が聞き、学び、覚えて育ったものだ。そして、人生というものを体験した私は、想像の世界に入り込み、音楽を聴くことを求められるのです」


 

 

ニューアルバムをサポートするために、ミシェル・ンデゲオチェロは、6月21日にニューヨークのブルーノート・ジャズ・フェスティバル、7月29日にナパ・バレーでの公演を含む今後のツアー日程も発表し、ミネアポリス、ミルウォーキー、シカゴ、ワシントンDC、フィラデルフィア、イギリスのウィズボーンで行われるWe Out Here Festivalでのコンサートも予定しています。

Clara Engel 『Sanguinaria』

 

 

Release: 2023/6/16

 

 

Review


春の儚い花の異名をとる”ブラッドルート”のラテン語である「Sangurinaria Canadensis」に因んで名付けられたアルバムは、カナダのシンガーソングライター、クララ・エンゲルの最新作となる。このアルバムは 2022年の夏から秋にかけてリボンマイクで録音された。ちょうど家の近くで花が咲き始めた頃に書かれたことから、アルバムタイトルが名付けられたとアーティストは説明している。

 

クララ・エンゲルは、これまでインストゥルメンタル曲も書いてきたが、この最新作の収録曲のほとんどはアーティストのボーカルと複数の民族楽器の弾き語りによるものとなっている。これまでにギター、ピアノの他、タルハルパ、クドック、ラップスチール、メロディカの演奏を楽曲に取り入れてきたエンゲルではあるが、パンデミックを機に民族楽器に対する理解を深める時間に恵まれた。以前よりも楽器に対する理解度が深まったことは、今回の歌を中心にした作品全体に良い効果を与え、制作者の内省的な歌声の雰囲気をより魅惑的なものとしている。

 

前作と同様、この最新作『Sangurinaria』は、オープナーを飾る「Sing In Our Chains」に代表されるように、ニューヨークのSteve Gunn(スティーヴ・ガン)のようなサイケデリアとエスニックの雰囲気に充ちている。エンゲルのフォーク・ミュージックは、ウズベキスタン周辺の民謡のようでもあり、コーカサス地方の民謡のようでもあり、バルトークが探し求めたハンガリーの民謡のようでもある。少なくともそれは、不可思議でエキゾチックな雰囲気に充ちているように映る。

 

珍かな民族音楽に使用される弦楽器を用いて、クララ・エンゲルは淡々と情感を込めて自らの詩を歌いこんでいる。しかし、エンゲルにとって詩を書くことは、単なる手遊びであるのではなく、生きることそのものである。幼い時代から、エンゲルにとって詩を書くことは絵を書くことと同様、自らの感情を表現するために欠かさざるものであった。それは実際、歌詞に触れて見た時に強固な印象をもたらす。表向きの柔らかな旋律とはまったく正反対に、音楽の内核には強い意志が貫流している。終始、マイナー調の曲として紡がれていく楽曲の旋律そのものはいささか単調ではあるのだが、一方で、その中に様々な概念が流れているような気がする。これが実際、抽象的な印象を持つ楽曲の中にあって、稀に鋭い感性がきらめくように思えるのである。

 

アルバムの収録曲は前半部では、以前の作品に比べると親しみやすさのあるアヴァン・フォーク/サイケデリックフォークが並んでいるが、ハイライトとも称するべき瞬間は「A Silver Thread」、「Personne」にて訪れる。ミステリアスな印象を擁するフォークミュージックは、上記の収録曲でその幻想的な雰囲気は最高潮に達し、ペダルスチール等の楽器を効果的に用いながら、不思議なアトモスフィアを生み出している。一見、それは得難いものではあるが、他方、やはりシド・バレットやスティーヴ・ガンにも近い、コアなサイケフォークのコアな領域に到達している。こういった深層の領域に到達したときには、表向きの暗鬱さというイメージが覆され、それはほのかな切なさがもたらされるのである。

 

クララ・エンゲルは一貫してマイナー調のコードを通じて、暗鬱な印象に満ちたアヴァン・フォークを探究しているが、クローズ曲「Larvae」だけは他の曲とその印象を異にする。ここでは、アイスランドのフォークトロニカのような曲に取り組んでいる。Isik Kuralの電子音楽のように可愛らしい雰囲気がこの曲には表されている。最後に、フォークトロニカ/アンビエント調の曲があることで、作品全体により和らいだような余韻をもたらす。このアルバムは、アヴァンフォーク/サイケフォークと民族音楽を掛け合わせた音楽をお探しの方にぜひおすすめしたい作品である。


また、クララ・エンゲルは、ビジュアル・アーティストとしても活動している。今後、トロントとシアトルで計三回のアートショーを開催する。『Sangurinaria』はbandcampで6月16日に発売される。以前公開したアーティストのインタビューもぜひ合わせてご一読下さい。


 

 78/100

 


 

イギリスのエレクトロニック・ミュージシャン/プロデューサー、CLARKは、トム・ヨークがプロデュースしたニューアルバム『Sus Dog』をThrottleより発売しました。(アルバムのストリーミングはこちらからどうぞ)


アルバムの発表とともにクラークは収録曲「Medicine」のビデオを公開しました。曲もビデオもトム・ヨークが出演しています。 ナックルヘッドのディラン・ヘイズは「Medicine」のビデオを監督し、プレスリリースでこのように語っています。

 

「クリスと私は、デジタル技術を隠すという共通の努力で常に絆を深めてきた。『Medicine』の要素として、非常にデジタルなメディアであるディープフェイクを使用していることを考えると、これは興味深いことなんだ。私は、AIを微妙に使いこなすことに興味を持ちました。通常、ディープ・フェイクや他のAIを使用する場合、それがメインとなりますが、『Medicine』では、その効果を埋没させ、追加のテクスチャーを重ね、多くの構成要素のひとつにしたいと考えていました。クリスとトムの特徴が融合することで、顔と声の相乗効果が生まれ、誰が誰だかわからなくなり、声の可鍛性というテーマが生まれます」

 

「クラークの3作目のビデオでは、"Medicine "のトーンを変えたいと思いました。「Clutch Pearlers」と「Dolgoch Tape」では、強い単一テーマがありました。「Medicine」では、カフカの『変身』やスタン・ブラッケージの短編映画『Mothlight』の影響を受けながら、身体や場所の劣化を見つめる複雑さを取り入れたいと思った。三部作として、それらは場所とキャラクター形成によってまとまっているんだ」

 

 

Thom Yorkeは、以前のプレスリリースで、このコラボレーションについて次のように語っています。「クリスは私に、歌を歌い始めたので、フィードバックやアドバイスが欲しい、と書いてきたんだ。私は彼がやっていることに何年も前から興味を持っていて、結局、彼がその奇妙な部分をつなぎ合わせている間、私は後部座席の運転手のような存在になったんだ。私は、彼が歌と言葉を全く別の扉から入ってきたと知っても驚かなかった。彼が最初に送ってきたのは、2つのフロアの間に挟まれたことを歌っているもので、私はすでに納得していました。それは、彼が作曲やレコーディングに取り組む方法と同じで、今回は人間の顔をしていたのです」

 

クラークは、『サス・ドッグ』の制作について、 「ビーチボーイズがMDMAを飲んでレイヴレコードを作ったらどんな音になるだろうか? また、「一生分の曲を聴いて、どう作るかを考え、他のすべての要素を自分の好みに合わせてカスタマイズする方法をチューニングしたものです。ある意味、僕のデビュー作のような気がする」と説明しています。

 


ノルウェーのスペース・ディスコの巨匠、Lindstrøm(別名:Hans-Peter Lindstrøm)がニューアルバム『Everyone Else is a Stranger』を発表し、ファーストシングル "Syreen" を公開しました。『Everyone Else is a Stranger』は、Smalltown Supersoundから7月14日にリリースされる予定です。アルバムのトラックリストとカバーアートワークは以下の通りです。

 

"Syreen "は、私のライフセット用の新しいアップテンポのトラックを制作しているときに偶然見つけた曲です。ノルウェー語でライラックを意味するこの花は、愛と新しい始まりを象徴する花です」とリンドストロムはプレスリリースで語っています。「寒い冬の後の春ほど、歓迎されるものはありません。『Syreen』、春、そして人生そのものを楽しんでください!」

 

アルバム・タイトルはジョン・カサヴェテスが1984年に制作した映画『ラブ・ストリームス』の原題にインスパイアされたもので、彼の特徴であるコードを重ねたディスコ・エピックとフリーフォームな宇宙的航海が40分近くにわたって4曲収録されています。彼のキャリアを総括するようなアルバムであり、さまざまな音楽の道筋をひとつのサウンド、ひとつのアルバムに集約している。

前作がスローでメロウな雰囲気だったのに対し、2023年の『Everyone Else is a Stranger』はリズム重視のアップテンポなアプローチで、リンドストロムの尊敬するライブセットにぴったりな楽曲を収録しています。しかし、このアルバムには、ノルウェーのプロデューサーのトレードマークとも言える、予想外の展開も含まれています。例えば、デビュー以来ほぼすべての曲で使用している旧ソリーナ・ストリング・アンサンブルに加え、中国の安価なチェロとバイオリンを初めて演奏した録音があります。

ニューヨーカー誌で「スペース・ディスコの帝王」と称されたリンドストロームは、その強迫観念的な仕事ぶりを常に美徳とし、都心のスタジオをモンスター・トラックを生み出す工場に変えてきた。Todd Terje、Prins Thomas、Todd Rundgrenらとコラボレーションし、LCD Soundsystem、Lana del Rey、Haim、Grizzly Bear、Flume、RAC、London Grammarなど多数のアーティストをリミックスしています。

 








 

テイラー・スウィフトは、アルバム収録曲の「Karma」と「Snow on the Beach」の2曲をアップデートした『Midnights』のデラックス・エディションをリリースした。

 

「Karma」のリミックスには、スウィフトがアルバム発表時に「地球上で最もクールな人」と語ったアイス・スパイスが参加し、「Snow on the Beach」の拡張版にはラナ・デル・レイのボーカルがさらに追加されています。Midnights (Til Dawn Edition)』には、Target限定ボーナストラックとしてリリースされていた「Hits Different」も収録されています。以下より聴いてみてください。


テイラースウィフトは「Midnights」の別バージョン「3AM」もリリースしている。


 

 

©Cheryl Georgette

Julian Casablancas and the Voidzが、2020年の「Alien Crime Lord」以来となる新曲「Prophecy of the Dragon」を発表した。このシングルは、バルセロナとマドリードのプリマヴェーラ・サウンドを含む、6月の一連のヨーロッパのフェスティバルへの出演に先立ち到着した。試聴は以下から。


「Prophecy of the Dragon」についての声明で、The Voidzは次のように述べている。


「この曲はとてもシンプルな質問から始まりました...神があなたの耳元で、あなたは私の最も素晴らしい生き物だ、と囁いたら、どんな感じがするでしょうか? その感覚はどのように聞こえるだろうか? そのベースラインはどのようなものだろうか? そうして、The Voidzの法螺貝が吹かれ、私たちはこれまでのクエストで召喚された地球の様々な場所から集まりました。サハラの砂漠から中西部のトラックストップまで、私たちはこの問いに答えるためにカリフォルニアで再会した」

 

その答えとは?

永遠の炎の骨から、

数千年の時を経て目覚めたドラゴンの声は、ニューピレイトの形をした不躾な音拳を吐き出した。

新海賊団の歌の形をしている、

何事も見かけによらず、またそれ以外でもない。

 

-ドラゴンの予言


 


フロリダのエモバンド、Home Is Whereが新作アルバム「the whaler」の新たなシングル「floral organs」を公開しました。 「floral organs」は、アルバム『The Whaler』のエンディング・トラックです。

 

この曲は、そり鐘とハーモニカが鳴り響く、さわやかなインディーロックです。フロントウーマンのブランドン・マクドナルドは、この曲について「人生を過ごすことで和解すること、そして終わりはいつも始まりにフィットすること」を歌っていると説明しています。floral organs」の試聴は以下から。