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Sleaford Mods 『UK Grim』



Label: Rough Trade

Release Date: 2023年3月10日



Review 

 

ノッティンガムのジェイソン・ウィリアムソンとアンドリュー・ファーンのポスト・パンクデュオ、スリーフォード・モッズは2005年に立ち上げられたが、当初はウィリアムソンのソロ・プロジェクトとして出発した。

 

スリーフォード・モッズは、2009年までに三作のフルアルバムとEPをリリースした。まだこの時代にはスポークンワードとグライムの融合という現在の持ち味が出ていなかった。この状況を変えたのが、相方であるアンドリュー・ファーンだった。彼はUKのアンダーグランドシーンでDJをしており、2010年10月に、2人は出会ったのである。このとき、両者は、「All That Glue」という曲を書いて、翌年に共にデュオとして活動するようになった。スリーフォード・モッズがプロミュージシャンとして独り立ちしたのは、2014年のことであり、グラスゴーでスカオリジナルバンド、ザ・スペシャルズのサポートを務めたとき。その後、英国に対する風刺を効かせたスポークンワード、UKのダンスフロア出身者らしいコアなグライムを制作するアンドリュー・ファーンのクールなトラックメイクが彼らの代名詞となった。彼らがザ・スペシャルズのサポートを務めた後、ミュージシャンとして独立したのは偶然ではあるまい。先日亡くなったテリー・ホールがそうであったように、デュオは労働者階級のヒーローともいうべき存在なのである。

 

現在、フロントマンのウィリアムソンさんは50歳を過ぎている。しかし、年齢からにじみ出る含蓄溢れるブレクジットや政権に対するシニカルな風刺という要素は、他のどのバンドにも求められないデュオの最高の魅力と言えるかもしれない。昨年、ラフ・トレードから発売された『Spare Ribs』もスポークンワードとポスト・パンクを融合させた快作だったが、昨日発売となった新作『UK Grim』もスリフォード・モッズの持ち味が十分引き出された快作となっている。いや、もしかすると、政治風刺の鋭さについては前作を上回るものがあるかもしれない。


先行曲として公開された「UK Grim」は、グリム童話のように、可愛らしくも不気味なイラストレーションのMVが特徴的だ。ジェイソン・ウィリアムソンは、ボリス・ジョンソン政権に対する暗示的な批判を加え、貴族たちに民衆が搾取されていることをほのめかしている。これらは英国政府の停滞を肌で感じる人々に痛快な印象を与えるはずだ。そして、デュオの代名詞である、ごつごつした鋭いポストパンクに根ざしたアンドリュー・ファーンのトラックメイク、お馴染みのジェイソン・ウィリアムソンのシニカルでウィットに富んだスポークンワードが刺激的な融合を果たしている。イントロダクションは戦闘機のエンジン音のように不気味な印象をもたらす。


その他、2ndシングルとして公開された「Force 10 from Navarone」では、2022年、4ADから『Stumpwork』を発売したイギリスのポスト・パンクバンド、Dry Cleaningのボーカリスト、フローレンス・ショーとコラボレーションを実現させている。これは表向きには、異色のコラボとも思えるかもしれないが、他方、両者とも知的なスポークンワードの要素を兼ね備えるという点では理にかなった共演と言える。情熱的なウィリアムソンのボーカルとショーのクールなボーカルという両極端の掛け合いは、スリーフォード・モッズの音楽に新鮮味をもたらしている。

 

さらに、3rdシングルとして公開された「So Trendy」には、Jane's Addiction(ジェーンズ・アディクション)のペリー・ファレルが参加した。ペリー・ファレルがデュオのファンで、彼の方から連絡をとったという。

 

このコラボレーションが面白いのは、USオルタナティヴの代名詞的な存在であるファレルは、痛快なコーラスワークによって、自身の音楽性の重要なアイコンであるヘヴィネスというより、オレンジ・カウンティのポップ・パンクのような明るい影響をこの曲に及ぼしていることだ。また、このトラックは今までのスリーフォード・モッズの楽曲の中で最も軽快さと明朗さを感じさせる内容となっている。他にも、前作『Spare Ribs』に収録されていた「Out There」の音楽性の延長線上にある「I Claudius」は、アシッド・ハウスとUKグライムを融合させたクラブミュージックで、アンドリュー・ファーンのセンス抜群のトラックメイクを堪能することが出来る。


前作に比べ、ウィリアムソンのスポークンワードは、アジテーションが少し薄まってしまったようにも思えるかもしれないが、依然として、昨年、トム・ヨークがサウンドトラックを担当したBBCのドラマ『ピーキー・ブラインダース』の終盤のエピソードに”ラザロ役”として出演したウィリムソンの醍醐味ーー怒りを内に秘めたスポークンワードーーの存在感は「Pit 2 Pit」に顕著に表れ出ている。さらに以前から自宅でのTikTok形式のダンスの動画をTwitterで公開しているミュージシャンらしいユニークさと遊び心も、本作の随所に見出すことが出来るはずだ。

 

 

86/100

 

 

Featured Track「So Trendy」

 Kate NV  『Wow』

 

Label: RVNG Intl.

Release Date:2023/3/3

  

 

Review

 

ロシア/モスクワ出身のシンガー、ケイティ・シロノソヴァの四作目のアルバム『Wow』は、日本語のボーカルトラックを収録した作品として注目です。アルバムの収益はWar Childに寄付される予定です。


元々、ソニック・ユースやダイナソーJr.に影響を受けたオルトロックバンド、Glintshakeとして活動していたKate NVはこのアルバムで、日本のプロデューサー、食品祭りa.k.aを作詞担当に迎えて、ユニークなエレクトロ・ポップ、そしてエクスペリメンタルポップの奥深さを提示している。

 

Kate NVの生み出すエレクトロは、レトロな音色のシンセに加え、グリッチ的なビートを生み出しており、たとえば、カナダのI am robot and proudの生み出すミニマル・テクノに近いアプローチとなっています。それに加えて、Kate NVのユニークな雰囲気と可愛らしい印象を持つボーカルが奇異な印象を与える。今回の新作アルバムでは、Kate NVはトラックに対して戯れるように日本語を歌っていますが、しかし、もちろん遊び心を感じさせる作品ではありながら、オルタナティヴのようなひねりの聞いたメロディー、フレーズが新鮮な感覚をもたらしているのです。

 

一曲目に収録されている「oni(they)」では、日本の童謡の世界を彷彿とさせるテクノミュージックを展開している。MVでも見受けられるように、このボーカリストのいくらかエキセントリックなボーカルがレトロなテクノに乗せられるが、それほど真面目にならず、肩肘をはらずに等身大の姿勢で日本語ボーカルが歌われる。それは何かしら、おとぎ話のような可愛らしい世界と現代的なテクノロジー、一見すると相容れないような概念性の合体とも称することができるかもしれません。


続く、二曲目は、I am robot and proudのエレクトロニカに近いチップチューンの雰囲気を持つ。ゲームセンターのプリクラのBGMに近い親しみやすい電子音楽を基調としたテクノミュージックではありながら、曲の終盤ではサックスのアレンジが導入されると、チープなエレクトロニカは様相が変化し、ジャズトロニカ/ニュージャズに近い大人びた音楽へと変貌を遂げる。これらの変わり身の早さともいうべき性質がこのアルバムの持つ音楽性の原動力となっている。Kate NVは常に同じ場所にいることを避けて、そして音楽の変化や変容の過程を楽しんでいるのです。

 

アルバムの序盤は、摩訶不思議な印象を聞き手に与えるものと思われますが、中盤にかけては比較的落ち着いたテクノ/チップチューンが軽やかに展開されていきます。これらの音楽の最大の魅力は、大掛かりなものではなく、その音楽を最小化し、そして高価なものを避けて、そしてチープなものを探求するという点にある。その効果を踏まえ、Kate NVはテーマというものをあえて遠ざけるかのように、シンプルにその瞬間のエレクトロニカを提示している。ミニマリズムに根ざした「asleep」は、それほどチップチューンに馴染みのないリスナーにも親しめるものがあると思う。さらに、ロシア語のタイトル「nochonoi zvonok」もまた、Mumのような可愛らしい童謡のような雰囲気を擁している。この曲では、ガラスを叩くサンプリングを交え、ミニマル・ミュージックとポピュラー・ミュージックを融合させ、実験的でありながら涼やかなトイトロニカに昇華している。Kate NVのボーカルは背景ニアルビートに対して、アンビエントのような伸びやかなボーカルを提供することによって、まさにこのアーティストの独自の音楽性を確立するのです。それらはドリーミーではありながら、少しシュールな雰囲気を併せ持っている。まさに一定のジャンルや概念に収まりきらないような多彩さを持ち合わせているわけです。

 

他にも「d d don't」では、シリアスになるのを避けて、ある種のユニークさを擁する楽曲を展開させている。この曲でのKate NVのボーカルはポップスというよりも、スポークワードに近いもので、それは前衛的な印象を聞き手にもたらすだろうと思われる。そして、ボーカルに関しても、J-Popや近年のK-Popの流行性を巧みに捉えた上で、個性的な電子音楽として昇華させている。さらに、「razmishienie」は、ボーカルのサンプリングをブレイクビーツとして解釈することによって、清新なエクスペリメンタル・ポップの領域を開拓しているのに注目しておきたい。また、その他にも、「flu」では、スティーヴ・ライヒの「Music For A Large Ensenble」のミニマリズムとビョークのポピュラー・ミュージックの観点からみた現代音楽性を巧みに組みわせている。アルバムの最後を飾る「meow chat」は、レトロゲームやチップチューンの核心にあるユニークさやチープさを感覚的に捉えなおしたトラックとして楽しむことが出来るかも知れません。

 

この四作目のフルアルバム『Wow』において、Kate NVは、ミニマル・ミュージックやチップチューン、トイトロニカ/ジャズトロニカを作風の中心においているように思えますが、それは一括にすることは出来ない広範な多様性を持って繰り広げられる。全体的な作品としては、いくらか混沌とした印象を持ち、取り止めのない印象もあるものの、アーティストはみずからの長所である遊び心により、これらのコアな電子音楽に可愛らしさとキャッチーさをもたらしている。


現在、NYでも公演を行うKate NVは、海外でも注目度を高めています。今後、ワールドワイドな存在となっても不思議ではないかもしれません。

 

 

76/100 

 

 Xiu Xiu『Ignore Grief』

 

 

Label: Polyvinyl

Release: 2023年3月3日



Review 



2021年の『Oh No』は、この実験的な音楽性を擁するトリオにとって比較的ポピュラーな作品で、かなり聞きやすい部類だった。ところが続く、『Ignore Grief』は劇的な方向転換を図り、お世辞にも親しみやすいとはいいがたいアンダーグラウンドミュージックに属する作品となっている。

 

アルバムのアートワークについては、イギリスのポスト・パンク/ゴシックバンド、Bauhausの名作群を彷彿とさせる。バウハウスも『Mask』では、展開される音楽は基本的にポピュラー性に根ざしていながら、 ホラー風の音楽に挑戦していた。その他、ダブの影響を交えた代表作『Bela Lugosi's Dead』も妖しい光を放ち、時にはリスナーを慄然とさせるものがあったのだ。


なぜバウハウスの例を挙げたのかといえば、それは例えば、ニューヨークのSwansに比する地の底に引っ張られるような暗鬱かつ重苦しさもあるにせよ、Xiu Xiuがこの作品を通じて志向する方向性は、バウハウスのダークなゴシック性に近いからである。変拍子を交え、聞き手のリズム感を撹乱させ、前衛的なアプローチで聞き手を惹きつける。ただ、それだけではなく、ディストーションのノイズ、スポークンワード、テクノのビート、そして、シュトックハウゼンのトーン・クラスターの技法を織り交ぜ、斬新な作風にトリオは挑もうとしている。しかし、これらの実験音楽は従来では無機質というべきか、人間味を感じさせないような音楽が主流であったが、少なくともXiu Xiuの最新作『Ignore Grief』はそのかぎりではない。表向きには、ホラーチックであり、不気味な雰囲気が漂うが、その音楽性の節々には情感も感じ取れるのである。

 

オープニング・トラック「The Real Chaos Cha Cha Cha」は、タイトルこそキャッチーではあるものの、ノイズ・アヴァンギャルドの極北に位置している。バウハウス調の暗鬱なシンセサイザーのシークエンスにクールなスポークンワードが折り重なり、Xiu Xiuの特異でミステリアスな世界が無限に広がっている。Xiu Xiuの音楽は先にも述べたように、人好きのしない内容ではありながら、何か真実性を持ち合わせているような気もする。とにかく聞きようによっては様々な解釈ができるようなオープニングトラックである。

 

続く、獣の数字を刻印した「666 Photos of Nothing」は、ホラームービーの最も恐怖にまみれた山場のシーンに導入されるようなBGMに比する怖さを持っている。夜中に聴くと、飛び上がりそうな曲だけれど、それがチープな恐怖として再現されているかというと、そうではないように感じられる。ここには、リゲティ・ジェルジュのアウシュヴィッツをテーマにした「Atmospheres」のような奇妙な怖さがあり、それは直接的な表現ではなく、漠然とした空気感により恐怖やホラーという表現が生み出される。つまり、現代音楽の影響下にあるからではなくて、真実性に基づいた怖さが抽象的な形で表現されているのである。この点について、Xiu Xiuの最新作『Ignore Grief』の音楽が単なるまやかしではないということに気がつくはずである。

 

今作には、ファンタジックな要素はほとんどなく、徹底的にリアリズムが表現されている。Xiu Xiuは現代社会の恐怖を端的に捉えすぎているため、救いがない音楽のように思えるかもしれない。しかし、映画の会話のサンプリング、クラウト・ロック、そして、ドイツのミッシング・ファンデーションの作風を彷彿とさせる「Maybae Baeby」は確かにインダストリアルで無機質な恐怖感を擁しているが、その感覚はそれほど理解しがたいものではないはずである。例えば、ブラック・ミディの「Of Schlangenheim」が好きな人にとっては何かピンとくるものがあるかもしれない。


もちろん、オーバーグラウンドの音楽に慣れ親しむリスナーにとってはこれらは受け入れがたく、抵抗感があるかもしれないが、この音楽の中に掴みやすさを求めるとしたら、必ずしもXiu Xiuの音楽が一辺倒ではなく、ラウドとサイレンスという2つの持ち味を駆使していることに尽きるだろう。例えば、「Pahrump」では比較的、静かな印象のダーク・アンビエントにも近い作風に挑戦していることにも注目しておきたい。全体的には、その音楽性の中に踏み入れる余地がないように思われる中に、とっかかりのようなものを用意している。ニューヨークのアヴァンギャルド・ジャズ、サックス奏者のJohn Zorn(ジョン・ゾーン)の演奏を彷彿とさせるこの曲では、混沌や恐怖、悲惨さ、冷淡さの中に、それと正反対にある正の感覚を織り交ぜているのだ。

 

アルバムの終盤部では、「Border Factory」を聴くと分かる通り、一筋縄ではいかない音楽性が展開される。例えば、この曲では、1980年代のドイツのインダストリアル・ノイズの音楽をそれとなく彷彿とさせるが、ドイツのCanというよりも、Einsturzende Neubauten(アインシュトゥルツェンデ・ノイバウテン)のジャンクな感覚に近いかもしれない。つまり、このグループがそうであったように、多種多様な音楽を雑多に飲み込んだ末に生み出された音楽という気もする。また、続く「Dracula Parrot,Moon Moth」では、ストリングスを交え、アーノルト・シェーンベルクの十二音技法による歌曲の風味に加え、それらを電子音楽の側面から現代的に解釈を加えている。古い型と新しい型を組み合わせ、現代音楽のオペラのような曲を生み出している。 

 

最後の曲「For M」では、トーン・クラスターとインダストリアル・ノイズの中間にある音楽でアルバムを終える。


全体的にはちょっと後味の悪いホラームービーのような作品にも感じられるかもしれないが、しかし、この音楽性の中には凛としたクールさが漂っていることを勘の鋭いリスナーであれば感じ取るであろう。これは、トリオが、建築用語でもあり、また、音楽ジャンルやファッションでも使われるゴシックという概念の核心に迫っているからでもある。その点について、カッコいいと思うのか、なんだか不気味だと思うのかは、聞き手の受け取り方次第かもしれない。  


少なくとも、この最新作は単なる不快な音楽というわけではなく、醜悪的で不気味な表現に踏み込んだ先に、このアルバムの本当の魅力は存在している。さらに前衛音楽として美的感覚を裏側に秘めた作風でもある。

 

 

82/100

 

 

*下記のMVは、ホラー、またセンシティヴな表現があります。苦手な方は視聴をお控え下さい




 Tanukichan 『Gizmo』

 


 

Label: Company Records

Release Date: 2023年3月3日




 Review 


パンデミックが発生したとき、ハンナ・ヴァン・ルーンはギズモという名の犬を飼い、それ以降、ベイエリアのミュージシャンがタヌキチャンとしてのセカンドアルバムを書く間、欠かすことのできない伴侶となった。『GIZMO』は、新しい友の名前にふさわしく、状況的な障害(例えば、強制的な戸締まり)から、あるいは自己の快楽的な対処法から、アーティスト自身を解放するためのエクササイズとなった。2018年の『Sundays』に続く作品について、ヴァン・ルーンは次のように説明している。「私が常に抱いているテーマは、逃避でした"。"自分自身、自分の問題、悲しみ、サイクルからの逃避」であると。

 

製作者自身が話すように、少なくとも、ドリーム・ポップは現実的な側面からの逃避という側面もある。コクトー・ツインズの時代から続くこのジャンルは、MBVの陶酔した雰囲気をよりマイルドにしたものである。

 

カルフォルニアのドリーム・ポッププロジェクト、タヌキチャンは、この最新アルバムで甘美な音楽観と淡いノスタルジアを交えて秀逸なドリームポップの世界を探求している。アルバムのコラボレーターとして同じカルフォルニアのR&B/ローファイアーティストのトロ・イ・モアが参加している。

 

 ハンナ・ヴァン・ルーンのドリーム・ポップは近年のローファイの影響を多分に含んでいるが、ディストーションギター、シンセを用いた甘美的なフレーズ、シンプルなダンサンブルなビートとこのジャンルの基礎的な要素が下地になっている。さらにヴァン・ルーンのボーカルのフレーズは、他のトラックと重なりあうようにして、夢想的なエモーションとレトロな雰囲気を醸し出し、それは時にアンビエントのような抽象的な音像として処理され、荒削りなローファイ音楽として昇華される。ボーカルについては、日本のアーティストでいえば、少し古い例となるが、”カヒミ・カリイ”を彷彿とさせる場合もある。全体的な音楽としてはすごくアブストラクトなイメージを聞き手にもたらすが、ボーカルのフレーズは一貫してシンプルかつキャッチー、つまり親しみやすさが込められている。

 

さらに、タヌキチャンの音楽はとても感覚的な表現であると言えるかもしれない。このアルバムの収録曲は、情感豊かなドリームポップ/ローファイミュージックとして展開されていき、このジャンルの重要な要素のひとつ”内向性”を擁している。しかし、その内的なエネルギーは常に激しく渦巻いている。アーティストの感情の中で波打つ感覚的な何かが、常にこれらの音楽では、暗い方に行ったり、少し明るい方に行ったり、切なげな感情が揺れ動いているように感じられるのだ。

 

アンニュイなボーカル、そして、轟音のディストーションギターの向こうには、このアーティストしかもちえないユニークなキャラクターも音楽そのものから読み解く事もできる。また近年のAlex G、トロイ・モアなどのローファイに影響を受けているらしいのも、それほど新しい型の音楽とはいえないのにも関わらず、一方で、それほど古びた印象を与えることがないのである。

 

今作には、それほど象徴的な曲は多くはないように思えるが、それでも「Don't Give Up」 では、例えばコーネリアス近いエレクトロのダンサンブルな要素を交えたローファイ、ドリームポップソングを生み出しており、中盤には、甘美な雰囲気に彩られた「Make Believe」、また、終盤では、ブレイクビーツとドリームポップを組み合わせた「Nothing To Love」、さらに、ほどよく力の抜けた「Take Care」が力強い印象を放っている。


『Gizmo』は、ある意味で、アーティストの近年の愛犬ギズモとともに育まれた温かな日常的な記憶に支えられて制作されたというような気がし、淡い感覚でありながらも全体的にせつなさが漂っている。少なくとも表向きには、本作は、それほど一般的でも新しい内容でもないかもしれない。けれども、よく聴き込むと、このアーティストの新しい何かへのチェレンジ性を伺わせる一作となっている。つまり、パンデミックの時代から脱して、次なる何かのチャレンジへの過程を描いたような作品であり、Tanukichanにとってひとつ上にジャンプアップするための足がかりとなるかもしれない。

 

 

75/100


 

 slowthai 『UGLY』

 


Label: Method Interscope

Release Date: 2023年3月3日

 


 

UGLYは、Dan Careyがサウスロンドンの自宅スタジオで、頻繁にコラボレーションを行っているKwes Darkoと共に制作した。また、Ethan P. Flynn、Fontaines D.C.、JockstrapのTaylor Skye、beabadoobeeのギタリストJacob Bugden、ドラムのLiam Toonが参加している。

 

「このアルバムは、バンドが持つ兄弟愛の精神を僕が模倣しようとしたものだ。音楽は、そこに込められた気持ちや感情が大事なんだ」とslowthaiは語っている。


「アーティストが絵を描くように、その刹那の表現なんだ。以前はラップが自分の持っているツールで表現できる唯一の方法だったのに対し、ラップはやりたくないという気持ちがすごくありました。今はもっと自由に作れるし、やれることも増えたのに、なんで変えないんだろう?」


「人にどう思われようが、誰だろうが関係ない、ただ真実であり続けること、自分を尊重することなんだ」と彼は付け加える。


「私が顔にUGLYのタトゥーを入れているのは、常に自分を卑下したり、人が持つ印象が私という人間を決めるべきだと感じるのではなく、自分自身を愛することを思い出させるためなのです。結局のところ、僕が作るアートは自分のためのものだし、僕が作る音楽も自分のためのもので、僕が楽しめればそれでいいんだ。だから、自分の生き方というのは、誰にも期待されないものでなければならない。なぜなら、誰にでも笑顔が必要だし、誰にでもちょっとした喜びが必要で、それを本当に感じるためには自分の内面を見つめる必要があるから。"誰も本当の気持ちを与えてはくれないから」 


イングランド中東部にあるノーザンプトンの労働者階級出身のラップ・アーティスト(彼は単純に「ラッパー」と呼ばれるのを嫌うという)は、これまでヒップホップの潜在的な可能性を探ってきた。


もちろん、革靴の生産(高級革靴ブランド、JOHN LOBB、Dr.Martensの別ラインの革靴メーカー、Solovairが有名)に象徴されるノーザンプトン出身という土地柄は、彼の音楽にまったく無関係であるはずがない。スロウタイの政治的主張はノッティンガムのポスト・パンク・デュオ、スリーフォード・モッズと同じくらい苛烈であり、2019年のマーキュリー賞の授賞式では、当時の首相だったボリス・ジョンソンの人形の首をぶらさげて過激なパフォーマンスを行った。これは相当、センセーショナルな印象をもたらしたものと思われる。

 

今回、上記のアートワークにも見られるように、顔に『UGLY』のタトゥーをほったスロウタイ。そこにはヒップホップアーティストのプライドとそして何らかの強い決意表明が伺えるような気もする。そして、先週末にMethodから発売となった新作アルバム『UGLY』を聴くと、あらためてスロウタイというヒップホップ・アーティスト(ラッパーではない)が自分がどのような存在であるのかをイギリス国内、あるいは海外のファンに知らしめるような内容となっている。

 

UKの独自のミュージックカテゴリーであるグライム、そしてヒップホップのトラップの要素についてはそれ以前の作風を踏襲したものであろうと思う。しかし、 そこには近年、現代的なヒップホップアーティストがそうであるようにNirvanaをはじめとするグランジ、オルタナティヴ・フォーク、ポスト・パンク、そのほかそれ以前のメロディック・パンクを織り交ぜ、ヒップホップという音楽があらためて広範なジャンルを許容するものであることを対外的に示している。

 

もちろん、スロウタイは常に健康的な表現やリリック、フロウを紡ぎ出すわけではない、時としてそれは荒々しく、乱雑な表現性を赤裸々に表現するのだ。何か心の中にわだかまる激しいいらだちや虚無感、それらを一緒くたにし、ドラッグ、セックス、そしてアルコールへの溺愛を隠しおおそうともせずすべて表側にさらけ出す。そしてそれらはフロウとして激しいアジテーションを擁している。このアルバム全編にはスロウタイの動的な迫力満点のエネルギーに充ちているのである。

 

若い時代には、エミネム、ノートリアス、BIG、2Pacといったアーティストに親しんでいたスロウタイ。それらのラップミュージックの影響をベースに、ポストパンクのようなドライブ感のあるビートを交え、痛快な音楽を展開させていく、オープニングトラック「Yum」を聴くと分かる通り、表向きには危なっかしく、どこへいくのかわからないような感じに充ちている。


しかし、これらの乱雑かつ過激なアジテーションに充ちた音楽、その裏側にはこのアーティストの実像、実は気の優しいフレンドリーな姿も伺う事ができる。表向きには近づきがたい、しかし少し打ち解けると、誰よりも真正直な笑顔を覗かせる。そのような温和さをこの音楽の中に垣間見ることができる。それはスロウタイというアーティストが言うように、誰もがインターネットや表向きの情報を通して、そうであると決めつけているその人物の印象、その裏側には一般的なイメージとは全然別のその人物の本当の姿があると思う。どのような有名な人物でさえも。


その全面的なイメージをその人と決めつけることの危険性、そしてそれはその人物の幻想にすぎないことをスロウタイは知り尽くしていて、それらをあらためてこれらの楽曲を通じて表明していくのである。


そして、これまでのスロウタイのイメージとは異なる、またこのラップアーティストの親しみやすい姿を伺わせる楽曲もこのアルバムにはいくつか収録されている。その筆頭となるのが「Feel Good」となるだろうか。


2000年代のメロディック・パンクやエレクトロニックの影響を織り交ぜて彼はこのアルバムの楽曲の中で比較的爽やかなボーカルを披露している。  この楽曲こそ、スロウタイのアーティストとしての成長を伺わせるものであり、今作のアルバムがより革新的な音楽として組み込まれる理由で、より多くのファンを獲得しそうな気配もある。

 

その他、全体的に過激なイメージの中にあって、爽やかな印象を持つ曲も数多く収録されている。「Never Again」も聴き逃がせない。ここでトラップを始めとするヒップホップをグライムと織り交ぜ、繊細なフロウを披露する。また、エミネムの時代を彷彿とさせる「Fuck It Puppet」もヒップホップファンにとって痛快な感覚を与えるだろう。


そのほか表題曲「UGLY」は普通のインディーロックとしても楽しむことができる。これらのバリエーション豊かな楽曲は、依然としてスロウタイがイギリスのミュージックシーンのトップランナーである事を示している。




90/100

 

 

Featured Track 「Feel Good」

 Miss Grit 『Follow the Cyborg』

 


 

Label: Mute Artists

Release: 2023年2月24日

 

Listen/Purchae

 

 

Review

 

ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動する韓国系アメリカ人のシンガー、ミス・グリットの待望のデビュー作。


ミス・グリット(本名、マーガレット・ソーン)はEP『Talk Talk』ではロマコメの理想を追い求め、EP『Imposter』では人種的な偏見に立ち向かう等、アルバムの中に架空の人物を登場させ、それらの何らかのテーマとして発展させる。今作では、サイボーグという現代的なテーマを交えてユニークな世界観を探求している。マーガレット・ソーンはJia Tolentinosのエッセイ、Ex Machinaの映画、様々な作品の引用を織り交ぜ、ポップミュージックの特異点を探ろうとしています。

 

マーガレット・ソーンは影響を受けたミュージシャンとしてセイント・ヴィンセントを挙げている。その影響は本作の節々に読み解くことができる。テクノを基調としてダンサンブルなビート、それにアンビエントのように空間的な響きを持つミス・グリットの爽やかなボーカルは例えば昨年デビューした同じく韓国系シンガーのNosoの持つ清涼感を彷彿とさせるものがある。それらをオルタナティヴ・ポップ、つまり、ムーグシンセやメロトロンといった特殊なシンセを活用することで、デビュー・アルバムはタイトルに準じた形でスムーズに展開していくのです。

 

オープニング「Perfect Blue」、続く「Your Eyes Are Mine」は、このアーティストを知らぬ聞き手にミス・グリットなる歌手がどのような存在であるのかを知る手ほどきとなるようなトラックです。シンプルなテクノ調のビートやリードに加え、軽妙なボーカルは浮遊感を与え、時に夢見がちな雰囲気を擁する。まさに聞き手はアルバムの音源を再生をするやいなや、その世界の扉の向う側にある世界に足を踏み入れることになる。そして近未来的でありながらポピュラーミュージックとしての艶気を失わない音楽はその架空の世界にしばし居続けることを促すのです。

 

ミス・グリットは「Nothing Wrong」において、ビッグ・シーフが得意とするようなインディー・フォークにジョン・レノンのソロ作のようなクラシカルなポップスの要素を加え、聞き手の興味を惹き付ける。新旧のポップスを交え、それを現代的な解釈の手法で聞きやすい音楽を提示する。そしてこの曲では、アーティストの持つテーマの展開力の豊富さを感取することもできます。シンプルなシンセサイザーのビートを交え、そこに一定の熱量を与えることに成功しているのです。続く「Lain」こそまさにミス・グリットの音楽性の真骨頂ともいえるトラックで、ここではアーティストが敬愛するセイント・ヴィンセントが『Actor』を引っさげてシーンに登場したときの鮮烈な印象の再現を多くのリスナーは捉えることができるかもしれません。

 

タイトル・トラック「Follow the Cyborg」はラスト・トラック「Syncing」とともに本作のハイライトとなる。テクノ調のシンセサイザーとギターロックサウンドを融合させ、そしてオルタナティヴな音階や和音を交え特異な音楽性を生み出しています。古いテクノの時代を知る聞き手にとってはノスタルジアを与え、そして、それを知らぬ聞き手には近未来的な印象を与える。これらのフレーズを、マーガレット・ソーンのボーカルはドリーミーに引き立て、独特なグルーブ感を渦のように巻き起こす。これらの存在感を放ちながらも叙情性を失わない秀逸なポピュラー・ミュージックの連続は、新時代の到来を告げ知らせるものです。さらにアウトロにかけてのシンセサイザーのシークエンスも不思議な期待感を漂わせている。さらに続く韓国語のトラックでは、ミニマルなビートとテクノ性にスポークンワードをグリットは交え、新鮮味のある音楽を提示する。まさにアーティストの佇まいのクールさを象徴付けるような一曲です。

 

 その後も、このアーティストのテクノに対する愛着を色濃く感じさせるポピュラー・ミュージックが淡々と続いていく。「Like」で繰り広げられるレトロなフレーズの持続性には、クラフトワークやデュッセルドルフの初期のテクノシーンのファンは何らかの共感性を見出すだろうし、 続く、「The End」では、シンセのビートを背景に深妙かつ瞑想的なサウンドを展開させる。ラストソング「Syncing」では、アルバムの前半部とは打って変わって、テクノとオルタナティヴ・ロックを交えた芯の強いバラードへ転ずる。リフレインを基調として彼女自身のボーカルの力量によって後半部で深い余韻をもたらし、シンセのシークエンスとミス・グリットとハミングは、今作の擁する世界に今しばらく浸っていたいという思いを呼び起こす。ミス・グリットは今作でSSWとして高いポテンシャルを証明してみせました。次作品への期待感はいや増すばかりでしょう。

 

 

85/100


 

Featured Track「Follow The Cyborg」

Gina Birch 『I Play My Bass Loud』


 


Label: Third Man Records

Release: 2023年2月24日




Review



ジーナ・バーチはレインコーツのメンバー、ベーシストとしてお馴染みである。レインコーツは合唱のイラストのデザインで有名なセルフタイトルが代表作に挙げられる。が、印象としては日本でCD盤の流通が一般的だった00年初頭の頃、レコード店に毎日のように通っていた学生時代、なかなかレコードストアで入手しづらかった記憶もある。今では、どの曲をよく聴いていたのかもよく覚えてはいませんが、少なくとも、Raincoatsは、スコットランドのPastelsとともに私の記憶に強烈に残っている。そして、今でもよく思うのは、レインコーツというバンドは掴みどころがないというか、ジャンルを規定することがすごく難しいガールズバンドだったのです。


レインコーツはポスト・パンク・バンドのノイジーな部分もあり、いわゆるネオアコにも近いキャッチーさもあり、かと思えば、ガールズバンド特有のファンシーさも併せ持つ奇妙なバンドというイメージを私自身は抱いていた。それはたとえば、The Slitsのわかりやすいパーティーを志向したダブよりもはるかにレインコーツという存在に対して不可解な印象を持っていました。

 

時代を経て、ベーシストのギーナ・バーチはソロ転向し、サード・マン・レコーズからデビュー・アルバム『I Plat My Bas Loud」をリリースしている。既にそれ以前の時代に有名なバンドのメンバーがソロ転向して何かそれまでと異なる新しい音楽性を生み出すことは非常に稀有なことである。それは以前の成功体験のようなものがむしろ足かせとなり、新しいことにチャレンジできなくなる場合が多いからです。もちろんすべてがこのケースに当てはまるとは言えません。ザ・スマイルのトム・ヨークは少なくとも、レディオヘッドとは違い、ポスト・パンクやダブ、エレクトロの要素を上手く取り入れており、そして、ギーナ・バーチも同様にこのソロ・デビュー作で見違えるような転身をみせています。いや、それは前時代の延長線上にあるが、少なくともレインコーツの時代を知るリスナーに意外性を与えるような新鮮味に富んでいる。そしてかのアーティストが傑出したベーシストであることを対外的に示し、さらにレインコーツの時代見えづらかった副次的なテーマのようなものが随所に感じ取れる作品となっているのです。

 

一曲目のタイトルトラックでギーナ・バーチは分厚いベースラインとともにダブを展開する。そしてかつてのポスト・パンクの実験性、そしてスリッツのような痛快なコーラスワークを通じて現代のポピュラー・ミュージックを踏まえつつも、それとは異なる側面を提示しています。そして、ギーナ・バーチは裏拍を強調したツー・ステップに近いビートを交えつつ、ダブとレゲエの中間を行くようなトロピカルなボーカルを披露します。ヴォーカルのトラックにディレイを分厚くかけることにより、自分の声そのものを背後にあるビートのように処理している。時に自分の声を主役においたかと思えば、他の部分ではベースが主役になったりするのです。


これらのサウンドはいつも流動的な立ち位置を示し、一つのパートに収まることがない、ボーカルは軽妙でキャッチーさを意識してはいますが、何十年も音楽を愛してきた無類の音楽愛好家にしか生み出すことの出来ないコアなサウンドをギーナ・バーチは提示しています。続く「And Then〜」では、ポエトリー・リーディングの手法を見せ、未だにポスト・パンク世代の実験性を失っていないことを示している。

 

このデビュー・アルバムには面白い曲が満載です。没時代的なロックバンガー「Wish I Was You」は、キム・ディール擁するBreedersにも比する快活なオルタナティヴサウンドとなっている。ポストパンクの実験性を交え、ガールズバンドの出身者らしくロックンロールの見過ごされてきたユニークな魅力を再提示する。まさにこの曲はステージでのライブを意識しており、近年のポストパンクバンドにも引けを取らない迫力満点のロックサウンドを生み出してみせたのです。

 

続く、ダブのリズムを突き出した「Big Mouth」は近年のトレンドのポピュラー・ミュージックを意識し、ボコーダーを取り入れつつ、ロボット風のボーカルとして昇華し、SF的な世界観を提示し、特にアルバムの中では1番ベースラインのクールさが引きだれた一曲となっている。驚きなのは、つづく「Pussy Riot」であり、ダブ・ステップに近いビートをイントロに取り入れてレゲトン風のノリを生み出している。これはギーナ・バーチが少し前に流行ったレゲトンや、最近話題に上るアーバン・フラメンコのようなサウンドをセンスよく吸収していることを表しています。


そこには例えば、トーキング・ヘッズに象徴される旧来のポスト・パンクサウンドの影響もあるにしても、旧時代の音楽に埋もれることなく最新鋭のサウンドを刺激的に取り入れている。これはいまだにギーナ・バーチがミュージシャンとしての冒険心を忘れていないことの証となる。おそらく新しいものを古いものと上手く組み合わせることの重要性を知っているのでしょう。

 

 「I Am Rage」、「I Will Never Wear Stilettos」、「Dance Like A Devil」などなど、その他、レインコーツの時代のジャンルレスの要素を継承するかのように、アートポップ、ノイズポップ、アヴァンギャルドポップを始めとする、最近のジョックストラップのような前衛性を感じさせる特異な音楽が続く。


ギーナ・バーチは、テクノ/ハウスのシンプルな4ビートを踏まえながら、それをポピュラーミュージックの領域にある音楽として解釈していますが、これらの曲は常に表面的な音楽の裏側にこのアーティストの主張性や考えのようなものが暗示的に込められているような気がして、なかなか一筋縄ではいかないサウンドとなっています。そして、かつてのレインコーツの時代と同様、規定できない要素を実験的に掛け合わせることで、未曾有のサウンドが随所に生み出されているような気もします。とりわけ、圧巻なのは、アルバムの10曲目を飾る「Feminist Song」で、この曲はアーティストが70年代からポスト・パンクの気鋭としてシーンに台頭し、いまだに主体的な考えや主張性を失っていないことを表しています。音楽シーンや社会に対しての提言や意見を持ち合わせているからこそこういった表現が生み出されるのだろうと思われます。

 

 

84/100

 

 

Featured Track 「I Play My Bass Loud」

mui zyu 『Rotten Bun For An Eggless Century』

 


Label : Father/Daughter

Release Date: 2023/2/24

 


 

 

Review

 

mui zyuは、現在ロンドンを拠点に活動するシンガーソングライターで、 元Dama Scoutのメンバーとして知られています。

 

父親の世代に台湾人であった彼女は、家族とともにイギリスに移住し、レストランで勤務する父の家庭で育ちました。


『Rotten Bun For An Eggless Century』は記念すべきアーティストのデビューフルレングス。この作品を通じ、シンガーソングライターmui zyuは、パンデミック下のアジア人差別を始めとする社会的な問題に焦点を当て、さらに中国の幻想文学の先駆者である蒲 松齢、ゲームやその音楽に強い触発を受け、SFと幻想性を織り交ぜたシンセ・ポップを展開させています。このアルバムは面白いオルタナティヴ・ポップをお探しの方には最適な作品です。

 

このデビュー・アルバムにおいて、mui zyuは全体的に夢見心地のまったりとしたポップ・ミュージックを提示しています。ミドルテンポではありながらダンサンブルなビートを刻むシンセポップはロンドンだけではなく、米国の現代的なミュージックシーンにも呼応したものであると思われます。このアーティストの音楽性の特質は、オルタナティヴな音階の運行にあり、どちらかといえば、最初期のピクシーズのメロディーのひねりに近い。他にも、中国の民族楽器の二胡を取り入れたり、レトロ・ゲームのようなアナログシンセの音色を積極的に交えることによって、新しいとも古いともつかない、奇妙で摩訶不思議な世界を探求しています。トラック自体はチープな感じを意識していますが、バックビートに乗せられるmui zyuのボーカルはモダンな雰囲気が滲み出ており、聞き入らせるものがある。 特に、アルバムの全般的な音楽は甘美的というか陶酔的というか、独特な内省的なアトモスフェールが漂い、これがつまり、このアーティストの他にはない個性でもある。アッパー・ビートで高揚感を与えるわけでもないにも関わらず、mui zyuの音楽は内向きのエネルギーを渦巻くようにして盛り上がっていくわけです。

 

また、アーティストとして作品を制作する際、mui zyuは、台湾の古い時代の歌謡曲に強く触発されているということです。実際に当地の2000年代以前のポップスがどのような音楽性なのか、この点については明るくありませんが、もしこのアルバムにエキゾチックな何かを感じ取るとすれば、その父祖の代から引き継がれる台湾の文化にその源泉が求められるのかもしれません。

 

オープニングを飾る「Rotten Bun」をはじめ、「Ghost with a Peach Skin」、そして、「Mother Tongue」など、少し昔のゲーム音楽に触発されたような摩訶不思議なシンセ・ポップが多く収録されています。


それはこのアーティストが若い時代に親しんだ文化の源を追い求めるかのようでもあり、なおかつまた、上記のファンタジックな性質、中国の幻想文学の先駆者である蒲 松齢(アルゼンチンの幻想文学の大家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスに強い影響を与えた、大河小説の『紅楼夢』で有名な中国の作家。科挙の試験に落第し続け、作家活動に転じた。生涯にわたり、奇想天外な短編小説を多数執筆した)の影響を反映したファンタジックでSFチックな音楽が展開されています。これらはローファイやノイズポップの要素と複雑に絡み合うことで、独特な音楽性に組み上げられてます。


終始、mui zyuのボーカルは落ち着いており、一貫性があり、また何かを物語るかのようであり、サイケデリックな音楽性を擁しながらも全体的に整然とした印象を与える。さらに、そこに感情的な要素、ドリーム・ポップに近い甘い雰囲気と中国文化のエキゾチズムが加わることで、mui zyuの持つ唯一無二の摩訶不思議な世界が奥行きを増していくのです。二次元的とも三次元的ともつかない奇妙な幻想性に溢れた音楽の世界を構築し、作品全体を通じて聞き手の興味を上手く惹きつけることに成功しています。

 

ただ、ひとつ問題を挙げるとするならば、現時点では、これらのエキゾチズムやファンタジー、あるいはゲームの要素がまだ聞き手を圧倒するような迫力を持ち合わせていないことです。それは音楽性の高揚感だとかそういう話ではなく、mui zyuの個性的な光は残念ながらまだ弱く内側にとどまっているのが少し惜しい点なのです。そして、これらの音楽はアジア人としてのヨーロッパ的な概念への憧れの範疇に過ぎず、シンガーが提示する異質な世界、様々な概念が渦巻く世界に少し脆弱な部分も見受けられるかもしれません。感覚的な脆さというのは取りも直さず繊細性でもあり、それはある意味では、製作者にとって必要不可欠の才覚でもあるわけですが、もし、シンガーソングライターが自分自身のアイデンティティや固有の文化性に強い自信を得た瞬間、おそらくこれらの音楽はより素晴らしい作品として昇華されていくはずです。

 

無論、現代的な音楽シーンを俯瞰した際、mui zyuは他のアーティストが持ち得ない独自の才覚を持ち、歌自体にもリスナーを惹き付ける力量を持ち合わせていることから、傑出したシンガーソングライターであると実際の音楽から推察出来ます。デビュー作を足がかりにし、どのような形でこれらの幻想性と現実性が広がりと深みを増していくのかに注目していきたいところです。

 

 

 78/100

 

 

「Ghost with a Peach Skin」

 Anna Wise 『Subtle Body Down』

 

 


Label: Sweet Soul Records

Release Date: 2023年2月17日



Review

 

アンナ・ワイズは既存の音楽の枠組みにとらわれない独創的なポピュラー・ミュージックをこのセカンド・アルバムで生み出しています。この作品は特に既存のポピュラー音楽に飽きてしまった人に強くおすすめします。

 

アンナ・ワイズは、ケンドリック・ラマーのファンであれば、その名を耳にしたことがあるはず。 彼女は『To Pimp A Buttefly』の「These Walls」でゲストボーカルとして参加しています。アンナ・ワイズ名義のソロ・プロジェクトに関し、アンナ・ワイズは、彼女自身が属するオルタナティヴ・ソウル・グループ、Sonnymoonの延長線上に位置すると考えているようで、ネオソウル、R&Bを通じて、女性であることの試練と高揚、愛、人間関係と様々なテーマを掘り下げています。


アルバムには、全七曲が収録されており、フルアルバムではありながら、ほとんど捨て曲がなく、高い密度を誇る作品です。実際、全体的な音楽性の密度だけでなく、一曲ごとの密度も極めて高く、聴き応えたっぷり。アンナ・ワイズは、バークリー音楽院で学んだ経歴を持ちますが、ジャズ、クラシック、さらにアーティストのライフワークのような意味を持つネオ・ソウルという多様な音楽性を、目眩く様に展開させていく。変拍子が多く、ブレイク・ビーツのような手法を用いながら独創的な音楽を作り出していきますが、それは、例えばノルウェーのニュージャズのグループ、Jaga Jazzistの2010年代の作風に近い要素がある。『Subtle Body Dawn』の収録曲は、一つの展開に収まることを避け、目まぐるしくその曲調や曲風が変化していく。アルバムの中で、空想の舞台が繰り広げられるようにも思え、曲の中に幅広い要素を込めようとするアーティストの試行錯誤が上手く昇華されたというべきなのかもしれません。


また、アンナ・ワイズの歌についても面白く、曲ごとにそのボーカル・スタイルを様変わりさせ、まるでこれは演劇の舞台でその役どころを変化させるかのよう。ある曲では、米国の古き良き時代のシンガー、エタ・ジェイムスのようなソウルフル/ジャジーな懐深さがあったかと思えば、他の曲では、ビョークの最初期の先鋭的でありながらポピュラー音楽の未知なる可能性を示すボーカルスタイルに変化する。曲をよく聴き込めば聴き込むほど、アンナ・ワイズという歌手の実像は謎めいて来て、その正体がより不可思議な存在として感じられるようになるのです。

 

アルバム全体としては、オープニングを飾る「Time」から「The Now」の流れを聞くと、コンセプト・アルバムとして捉えることも出来る。弦楽器のピチカートやビンデージピアノの音色を部分的にコラージュのように交えながら、ジャズ風のバックビートに下支えされたポピュラー・ミュージックの展開力は、きっとこのアーティストの作品に初めて触れる際に強烈な印象をもたらすことでしょう。その後も、ダンサンブルなエレクトロニカの作風を反映させながら、ネオ・ソウルやジャズの性質をセンスよく散りばめた「Green」、さらに、このアーティストのファンシーな性質を帯びた「Jelousy Blocks Your Blessings Every Time」は幻想的な雰囲気が漂う。その後、Sonnymoonの音楽性の延長線上にある囁くように歌われるネオ・ソウル「Several Dimensions」もまたワイズの持つ神秘性や不思議な魅力を味わうことが出来るでしょう。

 

これら中盤のバリエーション豊かな楽曲を引き継いだ後、アルバムのハイライトが立ち現れる。フィドルとオルガンの音色、その後の休符を埋めるタイプライターのサンプリングに導かれながら、タイトル曲のような意味を持つ「Subtle Body」に来て、いよいよアンナ・ワイズの独創的なポピュラー・ミュージック・ワールドが大きく花開くことになる。特に、サビにおける往年のソウルシンガーの歌唱力に比べて何ら遜色のないダイナミックなボーカルに注目しておきたい。ポップバンガーとしての展開が訪れた後、唐突に、エタ・ジェイムズを彷彿とさせる深みのあるジャズ/ソウル・ミュージックの最深部へと引き継がれる。これらの落ち着きがありながら甘美な雰囲気に彩られた展開は、最終曲の「Mother Of Mothers」に神妙な形で続いていき、本作をクライマックスに誘導していく。トイピアノの可愛らしい音色とロック寄りのグルーブ感を押し出したベースライン、続く、賛美歌やゴスペルを通じて繰り広げられる摩訶不思議な世界は、聞き手を幻惑へと誘う。


このアルバムは既に何度か聴き通していますが、聴くたびに何かそれまで気づかなかった新しい発見があって面白い。そして作品が終わっても、何度も聴き直したいと思えるような安定感に満ちています。これは、製作者の提示する世界観がこれまでありそうでなかったものであること、そして、個々の楽曲と複雑なバックビートが緻密に作り込まれているからなのかもしれません。ケンドリック・ラマーのコラボレーターという言い方は、もはやアーティストにとって不要となったかもしれない。すでにアンナ・ワイズは『Subtle Body Dawn』で才能あふれるソロミュージシャンとしての道を確立しはじめているように感じられます。

 

90/100

 


Featured Track 「Subtle Body」

Runner  『Like Dying Star,We're Reaching Out』
 

 

 


Label: Run For Cover

Release: 2023/2/17

 




Review

 

 

LAをベースに活動するRunner(ノア・ワインマン)は、近年のローファイ、エレクトロニカ、オルト・フォークを融合させた米国の最新のミュージックシーンに呼応したサウンドをこのセカンドで作り出しています。


「私は、ただ、簡単に識別できないような、少しオリジナルなサウンドを作りたいだけなんだ」とワインマンは説明していますが、その言葉通りのユニークさを今作には見出すことができるはずです。学生時代にはトランペットとジャズを学んだというRunnerは、それらの下地に加えて、バンジョー、ピアノ、ギター、友人の声のサンプリングなど、楽器とサンプリングを絶妙に加工し、緩やかで穏やかな音響の世界を全12曲に内包させている。

 

バック・トラック自体は相当複雑に作り込まれていますが、背後のビートにナチュラルで優しさのある70年代のフォーク・ミュージックを彷彿とさせるボーカルがアルバムの世界を軽妙に牽引していきます。さらに実際に紡ぎ出される歌詞も、「アルバムに収録する曲を決めようとデモを整理していたら、言葉の限界というテーマに気がつき始めた。誰かに何かを伝えようとしたとき、うまく伝わらなかったり、結局、何も言えなかったりする。親しい人に自分を表現するのに苦労するのは、私の人生でもよくあるパターンなんだ」と語るように、表向きの言葉を越え未知なる感覚的な言葉の世界を探求しているようにも感じられます。この点が、曲を聴いている際に、ワインマンの言葉が耳に深く馴染み、浸透していくように思える理由なのかもしれません。

 

全編に一貫しているギターとバンジョーの軽妙な掛け合いは、Runnerの詩人のような性質を明確に感じさせるものとなっていますが、加えて、シンプルな演奏をサンプリングやコラージュの手法でループさせ、独特なグルーブ感をもたらしており、これは、ローファイミュージックの影響が楽曲に巧みに吸収されている事を表す。そして、Runnerのボーカルは朗らかでどことなく開放感に満ちあふれている。きっとこのアルバム全体を聴いていると、不思議と清々しい気分になるでしょう。


Alex Gを始め、近年、ローファイとフォークを融合させた複数の魅力的なアーティストが存在感を示しているが、Runnerもまたその筆頭格に挙げられるだろうと思われます。上記のアーティストに比べ、ノア・ワインマンの音楽は、とくに、ナチュラルなオルト・フォークの性格を強く反映させています。そのことは、「plexigrass」、「raincoat」 を始めとするゆったりした存在感のある曲に加えて、Superchunkのオルト・ロック性に近い盛り上がりを見せる「chess with friends」といった曲を中心に顕著な形で表れ出ているように思える。

 

Runnerの書き上げる楽曲は最近のインディーミュージックファンの耳に馴染みやすいものとなっていますが、プレスリリースでも説明されている通り、簡潔な音楽にはアーティストのささやかな慈しみが垣間見える。友人との関係性をはじめとするノア・ワインマンの普遍的な感覚が全体に飾らない形で表現されています。実際の人間関係と同様、一筋縄ではいかないような内容によって彩られているものの、どのような出来事もノア・ワインマンは愛着を持って、さらりと歌い上げる。この点に気づきというか、何かしらふと考えさせられるものがあると思います。

 

 

78/100



New Pegans 『Making Circles of Our Own』

 

 

 

Label: Big Scary Monsters

Release Date: 2023年2月17日

 

 

 

 

Review 


アイルランドの五人組のインディー・ロックバンド、ニュー・ペガンズのセカンド・アルバム『Making Circles of Our Own』は、バンドメンバーのCahir O' Doherty、Allan McGrrevyが、アイルランドのGlens of AntrimにあるBadlands Studioでレコーディングを行った。

 

インディーロック/オルタナティヴ・ロックバンドとは言っても、ニュー・ペガンズの音楽性はどちらかといえばポスト・パンク寄りの硬質なギターサウンドを特徴とする。メインボーカルのフレージングが独特で、メロディーもほのかな哀愁を帯びている。このバンドはパンキッシュなパンチ力が持ち味で、さらにはブリストル・サウンドのような独特なクールさを漂わせています。

 

UKでのセカンド・アルバムの売上が好調な同郷アイルランドのThe Murder Capitalと同じように、New Pegansのサウンドは、かなり綿密な計算の上に構築されていることに気づく。ギター・サウンドがフェーザーなどのエフェクターにより緻密に作り込まれていて、スタジオで相当な試行錯誤を重ねた痕跡がとどめられている。テクニカルな変拍子をそつなく織り交ぜつつ、バラードとオルタナティヴ・ロック、ポスト・パンクの激情性をかけ合わせた個性的なロックサンドを探求している。彼らはドリーム・ポップのような陶酔的な哀愁を表向きなキャラクターとしていますが、また時には、歪んだディストーションによってシューゲイズのような陶酔的な轟音サウンドを部分的に持ち合わす。相反する要素が複雑怪奇に絡み合っているのです。

 

轟音性の強いディストーション・サウンドは、ボーカルが歌われる間は、引き立て役に徹しているものの、間奏に移った瞬間、シューゲイズのような轟音サウンドをガツンと押し出す。アンサンブルとしての役割分担がとれたメリハリの利いたサウンドを擁する。つまり、ニュー・ペガンズは、チャプター・ハウス、ジーザス&メリー・チェイン周辺の80年代のドリーム・ポップ/シューゲイズの源流に当たるサウンドを、よりモダンなポスト・パンクをひとつのファクターとして通過した上、かなり新鮮味あふれるサウンドをこのセカンドアルバムで提示している。

 

全般的には、分厚いベースライン、スネアのダイナミクスが押し出されたドラム、リバーヴ/ディレイを強く噛ませたディストーションギターの掛け合いについては迫力満点で、ケリー・オケレケ擁するブロック・パーティーの2005年のデビュー作「Silent Alarm」のアート性の強い音作りを彷彿とさせるものがある。ただ、ニュー・ペガンズのセカンド・アルバムは、ブロック・パーティーが内的な孤独に焦点を絞っていたのとは対照的に、どちらかといえば他者とのコミニティーにおける共感性に重点を置いている。鮮烈な印象を与えるオープニング「Better People」、二曲目の「Find Fault with Me」を聴くと分かる通り、セカンド・アルバムの楽曲では、聞き手の感情に対して訴えかけ、自分たちの位置取る特異なフィールドに誘引していくパワーを持つ。


ボーカルについては、直情的でありながら少しセンチメンタルな感じがするので、とても好感が持てます。それでも、セカンドアルバムの曲は飽くまでParamoreやAlvveysのようなロックバンガーやステージでの観客とのシンガロング性を志向して作られている。さらに、バンドの音楽の中に一貫して感じられるのは純粋で真摯な姿勢であり、茶化したり、ごまかしたりするような夾雑物が感じられない。今あるものをレコーディング・スタジオにそのまま持ち込み、全部出しきったという感じである。この点がザ・マーダー・キャピタルと同様、取っつきやすいサウンドとは言えないにもかかわらず、聞き手に大きな共感と熱量を与えそうな理由なのである。

 

ニュー・ペガンズはこのセカンドアルバムで自らの作風を確立したといえば誇張になってしまいますが、少なくともバンドとしての完成形にむけて着実に歩みを進めています。オルト・ロック/ポスト・パンク/シューゲイズの怒涛の展開を潜り抜けた後のアイリッシュ・バラード「The State of My Love's Desires」に辿り着いた瞬間、リスナーは何らかの爽快感すら覚えるかもしれません。

 


84/100

 

 

Featured Track 「Better People」

 Paramore 『This Is Why』


 

Label: Atlantic Records

Release Date: 2023年2月10日

 


 

 

Review

 

パラモアの6年ぶりの新作アルバム『This Is Why』はブランクを埋め合わせるどこか、リスナーの予測を上回っている。ディスコやファンクのダンサンブルなビートとポスト・パンクのオリジナル世代のソリッドなギターやベース、ドラムの魅力をふんだんに詰め込んで、それらをノリの良いキャッチーなポップソングとして仕上げている。

 

ボーカルのウィリアムズは他のアーティストがロックダウンについてシリアスになったのを尻目に、これらの時代の出来事を実に痛快に笑い飛ばすかのようでもある。ときにはカイロプラクティックなどの自虐的なジョークを交え、スピーカーの向こうにいるリスナー、そしてライブに詰めかけるたくさんのオーディエンスを意識し、エンターテインメントが何たるかを教唆してみせる。

 

表向きにはフロントマンのウィリアムズの繰り出すボーカルのフレーズや、その歌いぶりに関しては、リスナーの楽しさを引き出すが、バックバンドとしての演奏は真摯で、彼らの緻密なポスト・パンクサウンドのライブ感満載の迫力がアルバムの収録曲を魅力的に引き立て、さらにはウィリアムズのファンクやR&Bに根ざしたダンサンブルなボーカルの存在感を否応なく引き上げている。これらのパンチが効いてフックを持ち合わせたポピュラーかつドライブ感のあるロックソングは、リスナーの心に潤いと、ほんのりとした明るさをもたらすことになるだろう。

 

アルバムには、タイトルトラック「This Is Why」をはじめ、ディスコ・ポップが中心を占めているが、これらのバンガーに加え「Running Out Of Time」をはじめとする若干しっとりとしたR&Bを基調にしたロックソングが全編に華やかな印象を添えている。もちろん、華やかさだけがこのアルバムないしバンドの売りではない。「Big Man,Little Dignity」では、メロウなソウル・ミュージックとポスト・パンクの硬質なギターをかけ合わせた新時代の音楽を呼び込んでみせている。これらの曲は夢想的な雰囲気と現実的な雰囲気の間でさまよいながら、パラモアらしい答えが生み出される。これらのアンビバレントな楽曲の数々は、近年、夢にいるのか現実にいるのか、その境目があやふやとなっている社会をある側面から反映しているようにも思える。

 

パラモアの新作アルバム『This Is Why』は、まさにロックダウンについての冷やかしの意味とまたリスナーや社会に対するトリオのイデオロギーにおける反論の意味がある。本作は、バンドのファンの期待に沿うような内容となっていることは確かである。そして、また、6年という月日を考えると、これだけのクオリティーの作品を生み出せるということは、パラモアの実力をしたたかに証明してみせているともいえる。もちろん、実際のライブで重要なレパートリーとなりそうな曲も複数用意されているし、ウィリアムズの力強い言葉「言いたいことがあるならいうべき」といった言葉は、ポスト・パンデミックのリスナーに勇気を与えてくれると思われる。

 

しかし、アルバムの後半で、その勢いというのが少しだけ陰りを見せる。これがなんによるものなのかはわからない。序盤と後半では音楽的な密度がはっきりと異なるのだ。エンターテインメントの楽しみが瞬間的な火花を見せたかと思うと、それがふっと消え入る寂しい瞬間もまたこのアルバムには捉えられている。それを余韻と捉えるかどうか、意気消沈と捉えるのかは聞き手次第なのかもしれない。『This Is Why』は良いアルバムであり、さらに売れることが約束されているアルバムでもある。ただ、買って後悔することはないと思うものの、長く聴き続けられる作品かどうかについては少しだけ疑問符が残る。おそらく、パラモアの最大の魅力はライブ・パフォーマンスにあり、飽くまで音源はその魅力の一部分にとどまるのかも知れない。

 

 84/100

 

 

 


Label:P-Vine/Good Charamel Records

Release: 2023/2/15
 
 
 




Review
 
 
1981年に大阪で結成されたロックバンド、少年ナイフは日本ではそこまで知名度を誇るわけではありませんが、NirvanaのKurt Cobainを始め、ロックアーティストからカルト的な支持を得ていた時代もありました。日本ではJTのCM「飲茶楼でめちゃうまかろう」でお馴染みのロックバンドです。
 
 
最新アルバム『Our Best Place』は、トリオにとって原点回帰を果たしたかのような痛快な作風となっています。プレスリリースでは、ポール・ウェラー擁するThe Jam、BUZZCOCKSに近い作風と説明されている。


確かにザ・ジャムのモッズ時代を彷彿とさせるアート・ロック、バズコックスのメロディック・パンク以前のパワー・ポップ性も魅力ではありながら、少年ナイフの音楽性の核心にあるのはビーチ・ボーイズの軽快なコーラスワークとラモーンズの痛快なロックンロール性にある。基本的にはパワーコードのシンプルな8ビートの楽曲にトリオの最大の魅力は求められる。
 
 
今回の新作アルバム『Our Best Place』は、まさに結成40年目のオルタナティヴロックバンドがわが居場所を見つけたり、と言わんばかりの痛快なロックンロールが満載となっています。アルバムは英語と日本語の両方で歌われ、日本のリスナーだけでなく、海外のロックファンにとっても親しみやすく、そして作品としても全体的にバランスの取れた内容となってます。
 
 
オープニングを飾る「MUJINTO Rock」はジョーイ・ラモーンのソングライティングを彷彿とさせる痛快かつエバーグリーンなポップ・パンクを提示し、そこにザ・ジャムのような旧来のロックンロール性を加味し、ノスタルジアをいとわず全快で突っ走っていく。他にも、日本の古い歌謡曲のようなユニーク性を交えた「バウムクーヘン」ではドゥワップ・コーラスを交えてユニークな世界観を提示している。並み居るバンドをなぎ倒していくかのような迫力と存在感は圧巻です。
 
 
その他にも、ラモーンズのセルフタイトルのデビュー・アルバムを彷彿とさせる「Spicy Veggie Curry」では、ガールズバンドらしいキュートさを押し出し、キャッチーなコーラスワークを展開させ、このバンドの全盛期を現代に呼び覚ましています。シンプルなパワーコードとブルース・ハープの掛け合いがいい味を出しています。また、「Girls Rock」では甲本ヒロト率いるザ・ブルーハーツを彷彿とさせるような懐かしさ満点の日本語パンクの世界を開拓しており、さらに、そこにガールズ・バンドのカラフルな色合いを加味しています。シンガロングせずにはいられない曲を書くことにかけては少年ナイフの右に出るバンドは見つかりません。
 
アルバムの終盤に差し掛かってもフル・エンジン。ギター・ウルフのようなブギーを主体にしたドライブ感満載のロックンロール・ナンバー「Ocean Sunfish」でさらに気分を盛り上げる。続く「Better」はバズコックスのパワーポップ性を受け継いだ甘く切ないナンバーで、最近のインディー・ロックファンの好みにもマッチする音楽性となっています。さらに英語で歌われたラストナンバー「Just A Smile」は、かなり切ないパワーポップ・ソングで、Monkeesの「Daydream Believer」や、The Replacementsの同曲のライブカバーを彷彿とさせます。
 
 
最新作『Our Best Place』で、少年ナイフは、キャリア40年のバンドとしての実力を対外的に示し、さらに新時代のロックンロール・アンセムを多数生み出しています。現代のトレンドからは一定の距離をおいた作風ですが、間違いなく日本の良い時代を思い起こさせるような良質なアルバム。ラモーンズやブルーハーツが好きな方はぜひチェックしてもらいたい。また、リミックス含む3曲のボーナス・トラックが追加収録された日本盤がP-Vineから発売となっています。
 
 
80/100
 
 

Weekly Recommendation  

 

Caroline Polachek 『Desire,I Want To Turn Into You』

 



Label: Perpetual Novice

Release Date: 2023年2月14日

 




Review  

 

 2019年末に『Pang』をリリースした後、ポラチェックはこのレコードのツアーを行う予定だったが、2020年3月のCOVID-19のパンデミックによって中断されることになった。ポラチェクはロンドンに滞在し、親しいコラボレーターであるダニー・L・ハーレと『Desire, I Want to Turnto You』の制作を開始した。彼女はアルバムを、"他のコラボレーターがほとんど参加していない "ハーレとの主要なパートナーシップであると考えた。2021年半ばまでロンドンでアルバムの制作を続け、ハーレや新たなコラボレーターのセガ・ボデガと共にバルセロナに一時的に移住しました。


ポラチェックは2021年7月にリード・シングル「Bunny Is A Rider」をリリースしたが、これはロックダウン前に書かれました。 さらに彼女は2021年11月にクリスティーン・アンド・ザ・クイーンズと共にチャーリーXCXの「ニューシェイプス」でフィーチャリングしている。ポラチェクはその後、2021年の残りの期間、フランスのミュージシャンであるオクルーと北米ツアーに乗り出しています。デュア・リパは2022年2月から7月にかけてのフューチャー・ノスタルジア・ツアーの北米とカナダ公演のサポート・アクトとしてポラチェックを発表、多くのフェスティバルにも出演しました。


彼女は2月にトリップ・ホップにインスパイアされた「Billions」をシングルとしてリリースし、ポラチェックはこの曲を仕上げるのに19ヶ月かかったと述べています。このシングルにはB面として2020年のアルバム『マジック・オントリックス・ポイント・ネヴァー』のワンオントリックスとのコラボレーション曲「Long Road Home」のリワークをフィーチャーしています。 ポラチェクは3月にフルームの「Sirens」にフィーチャーし、7月にはPC Musicのアーティスト、ハイドのためにトラック「Afar」の作曲とプロデュースを行った。ポラチェックはエンニオ・モリコーネのスパゲッティ・ウエスタンの映画音楽から影響を受けたと述べています。

 

Caroline Polachek

 

 結局のところ、ビヨンセ、チャーリーXCX、Rosaiaなど、艶やかさを売りにするシンガーが近年、ミュージック・シーンを席巻しています。こういった場合、ある意味、リスナーはそれを期待している側面もあるのだし、それを売り手は上手く活用して、宣伝的に、あるいはセンセーショナルにアーティスト及びその作品をより多く売り込もうと試みるわけなのです。そして、客観視すると、こういったシンガーソングライターの作品には実際の音楽性にも、そういった艶やかさが色濃く反映される場合もある。その事自体は否定しませんが、キャロライン・ポラチェックはその表層的なイメージを上手く操り、実際の音源に触れた時、それとはまったく正反対のイメージを与えることに成功しています。つまり、最初に結論づけておくと、この2ndアルバムは市場側の要求に応えながらも、かなり秀逸なポピュラーミュージックを提示しているのは事実なのです。

 

2019年にデビュー・アルバムを発表したポラチェックは、米国出身のアーティストですが、この数年間にスペインのバルセロナに一時移住しています。私見では、デビュー・アルバムはポピュラー・ミュージックとしてそれ相応にクオリティーが高いものの、現代の他のSSWと比べてそこまで傑出した作品とは言い難かった。それがなんの心変わりなのか、この2ndアルバムはアートワークこそ、続編のようなニュアンスを持ち合わせているが、その内容は全然異なっています。これはパンデミック時代を乗り越えたからこその勇気のある転身ぶり。それは言い換えれば、苦難を乗り越えた際に身についた豪快さも作品の節々から伝わってくる。特に、シンガーとしての音程の幅広さ、そして歌唱法の変化、そしてハイトーンにおけるビブラートの精彩さについてはかなり目を瞠るものがあると思われます。

 

特に指摘しておきたいのは、このアーティストのバルセロナに移住したことによる音楽性の目覚ましい変化である。例えば、スペイン音楽の重要な継承者であるロザリアと同じように、アーバン・フラメンコからの影響がいくつかの楽曲には見られる。これらのスペイン音楽の妖艶なメロディーやリズムは「Sunset」で断片的に味わうことが出来る。しかし、それらの表向きのイメージはけして表向きのものをすくい取ったわけでなく、キャロライン・ポラチェックが実際の生活や文化を間近で触れてみたことにより、それが歌やソングライティングに自然な形で反映されたともいえる。つまり、上記の曲を始めとするいくつかの曲には、バルセロナの風土というか風合いが乗り移っているのです。そして、まったく嫌味がない。これは歌手が自然な形で異文化に接した際の驚きやその敬意を親しみやすいポップスに込めようと試みているように思われるのです。

 

作品のオープニングには「Welcome To My Island」、「Pretty In Possible」という清涼感のあるポップ・ミュージックが並ぶ。この2曲は青空のように澄みわたっており、以前とは歌い方にせよメロディーラインの運びにせよ、デビュー・アルバムとはまったく人が変わったかのようでもある。これは何に拠るものなのか断定づけることは難しいですが、吹っ切れたようなエネルギーに満ちわたっている。その感覚は聞き手に何か気が空くような爽快な気分を与えてくれるでしょう。他にも、先行曲として公開された悩ましげな雰囲気に包まれた「Bunny Is A Rider」はポラチェックの新たなバンガーとなりそうな一曲で、モダンなポップスを擬えつつ、その内奥には奇妙な憂愁が渦巻く。この感覚的な歌が特にアルバムの持つ世界を押し広げていくのです。

 

中盤への切り替わりは序盤のエネルギッシュな展開とは正反対に、このシンガーの持つ内向性によって始まる。スペイン文化のアーバン・フラメンコに触発を受けたと思しき「Sunset」もエキゾチックな雰囲気で聞き手を惹きつけ、続く「Crude Drawing of An Angel」も同じように南欧の音楽性を吸収したようなしっとりとしたバラードとなっていて気が抜くことが出来ません。聞き手を内省的な世界にいざなった後、再びアップテンポな「I Believe」でテンションを変えますが、ここでもまたポラチェックは序盤の爽やかなポップスとは変わって、明るさを擁しながらも内面奥深くを見つめるかのような奥行きのあるポピュラーソングを提示しています。その後、レゲトンの影響を擁するダンサンブルなビートで聞き手を終盤の世界へと巧みに誘導していく。

 

終盤に収録されている「Hopedrunk Everasking」は本作のハイライトともいえ、また、SSWの歌唱力の高さ、歌唱自体の才覚を自らの実力によって証明してみせています。秀逸なメロディーの運びは言わずもがな、序盤の歌唱とは相異なる哀感溢れるバラードにより、さらに、美しいハイトーンのビブラートの微細なニュアンスは陶然とした世界へと歩みを進め、また、クラシック音楽の歌曲のような様式的な旋律の運びは、そのクライマックスにかけて神々しい領域へ導かれていくのです。

 

その後も、ありきたりな盛り上がりを避け、複雑な感情を織り交ぜたポピュラー・ソングにより、ポラチェックはアルバムの終わりへとこの音楽の世界は導いていく。ロマンチックであることを恐れず歌をうたい、ポピュラー・ミュージックとして歴代の名曲にも遜色のない「Butterfly Net」が続き、序盤のエネルギッシュな活力を取り戻す「Smoke」へ引き継がれ、クローズド・トラック「Billions」ではグリッチ・ミュージックとポピュラー・ミュージックの融合というまったく予測不可能な意外なエンディングを迎えます。特に、曲の中には、インドの民族楽器のタブラが心地よいグルーヴを生み出し、ポラチェックの歌声を巧みに引き立てています。


アルバム全体としては、かなりエキゾチックな雰囲気に溢れています。そして、ポラチェックの歌は時に神々しい雰囲気に包まれることもある。このアーティストの写真やアートワークに接した時、表面的な艶やかなイメージはキャッチフレーズや宣伝に過ぎないと思えるかもしれませんが、実際のところはそうではなく、これはキャロライン・ポラチェックなるシンガーソングライターの音楽性の核心を何よりも忠実に捉え、ある種の”目眩まし”のような機能を果たしているのです。

 

86/100

 

 

The Golden Dregs  「On Grace & Dignity』

 

 

Label: 4AD

Release Date : 2023年2月10日


 

Review

 

 

週末、4ADから発売されたばかりのザ・ゴールデン・ドレッグスの最新アルバム『On Grace & Dignity』の制作の契機は、フロントマンのベンジャミン・ウッズがパンデミックで職を失い、実家に戻った時期に遡る。 その時期、彼が得られた唯一の仕事は、トゥルーローという町の郊外にある経営状態の悪い建築現場での肉体労働者としての最も過酷な仕事であったという。「腰まで泥まみれになって穴を掘り、廃材の上に芝生を敷いたり、悲惨な冬だった」とこの時の境涯についてウッズは話している。さらに制作過程では、レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィス、リチャード・ヒューゴーの文学に影響を受けたという。かなり魅力的なアートワークについては、ブリストルに在住する模型作家、Edie Lawrence(エディー・ローレンス)が手掛け、HOスケールの架空のコーンウォール地方の町が建設された。Polgras(ポルグラス)と称されるこの模型には、高架橋、河口、スーパーマーケット、新築の家、工業用ビルが建ち並び、『On Grace & Dignity』のすべての曲が表現されている。

 

ベンジャミン・ウッズの書き上げるポップソング/フォークソングは、例えば、Bon Iverのような雰囲気が漂っている。聞きやすくて口当たりがよくシンガロング性も強いが、そこには独特な渋みが醸し出されている。トラックメイカーとしても、ダンサンブルな要素を込め、それを優れたポップソングとして昇華している。また、近年のシンガーソングライターの労働環境の中で培われたともいえる哀愁が最新アルバム『On Grace & Dignity』には漂っているのである。


ベンジャミン・ウッズが書き上げた渋さと軽快さ、そしてスタイリッシュさを兼ね備えたポップソングには、しかし、しわがれた声、ささやくような心地よいトーン、そして、一種の達観したような大人の余裕すら感じることが出来る。これは上記の旧来の米国の名作家たちがそうであったように、世の中の出来事をワイルドに捉えようという価値観がベンジャミン・ウッズの歌声、ひいては存在そのものに乗り移ったかのように思える。それは彼と同じような苦しい境遇にある人の肩を静かに支え、”気にすることはない”と元気づけるかのようでもある。そのことが往年のR&Bの名シンガーのように、ソウルとブルースの色合いを作品自体に与えている。レコードのほとんどの収録曲は、エレクトロニカのバックトラックやピアノのブルージーな演奏を交えて繰り広げられるが、深い哀愁とワイルドさが温かみをもって胸にグッと迫ってくる。

 

同じようなシンガーとして、米国のトム・ウェイツがいる。そしてベンジャミン・ウッズの歌もウェイツの最初期の時代に近い雰囲気にある。「On Grace & Dignity』の収録曲からは、夜もだいぶ深まった頃、人知れずソングライティングを行うウッズの姿がおのずと目に浮かんできそうだ。もちろん、彼の書き上げる楽曲は必ずしもメインストリームの範疇には位置づけられないかもしれない。しかし、それでも、じっとゴールデン・ドレッグスの音楽に耳を傾けると、深く心にしみるものがある。それはベンジャミン・ウッズが、その時々の正直な感情(時にそれは苦しい境涯である場合もある)を誠実に歌詞に落とし込み、それらを音楽と一体化させていることに拠る。またゴールデン・ドレッグスの音楽は必ずしも取っつきやすいとはいえないかもしれないが、その誠実さと生真面目さ、真心を込めて歌を紡ごうとするウッズの心意気は、彼と同じような真摯で誠実な姿勢にあるならば、しっかりと伝わってくるはずなのだ。

 

特に「How It Stars」は旧来のポップスやR&Bをモチーフにしていると思われるが、なぜか静かに聞き入ってしまうものがある。この曲には神々しい感覚が漂い、ボーカルのエフェクトや抽象的なコーラスワーク、あるいは、後半部にアレンジとして導入される管楽器のフレーズによって強化されていく。それは聞き手を陶酔した感覚に誘い、心地よい時の中に居続けることを促す。どれほど厳しい時間にあろうとも、音楽に酔いしれている間にはその苦痛から逃れることが出来る。音楽の本来の力をゴールデン・ドレッグスは呼び覚ましていると言える。

 

また、それに続く「Before We Fell From The Grace」も暗示的なタイトル曲に位置づけられるが、軽やかなヴォーカル、喜ばしい雰囲気、そして甘美な管楽器の響きが曲そのもののダイナミックス性を高める。しかし、ありきたりのコーラス・ワークで雰囲気を盛り上げるという手法ではなくて、ウッズの存在感があり渋みと悲哀に溢れた歌声と対比的なインストの旋律が祝福された雰囲気をじわじわ高めていく。さらにその他、現代のエレクトロポップの切り口から解釈したゴスペル曲とも称せる「Eulogy」も聴き逃すことが出来ない。この曲もまたみずみずしい感覚に溢れ、アルバムのアートワークに見られるような、あっと息を飲むような美しさに彩られている。


このレコードの中で聞きやすさのある軽快なエレクトロとフォークを交えたようないくつかの曲が続いた後、エンディングの「Beyond Reasonable Doubt」では、また序盤のように渋さのあるポップソングへと舞い戻る。やはり、ベンジャミン・ウッズの歌声は渋く、聞き手をまったりとした心地よさの中に呼びこむ。序盤よりその声はさらに力強く、ブルージーで、コーラスも奇妙な陶然とした雰囲気に包まれる。そして、エンディングにかけての管楽器とギターの掛け合い、さりげないギターのフェイド・アウトは、この続きを聴きたいと思わせる余韻を持ち合わせている。ゴールデン・ドレッグスの音楽は、コンセプト通りに精巧な模型のように作り込まれ、感情がゆっくり流れては、過ぎ去っていく。そこには否定も肯定もない。ベンジャミン・ウッズはこの数年間の歌を通じ、みずからの感慨をじっと噛み締めているだけなのである。

 

 

82/100



「Before We Felt The Grace」

 


Label: 灯台

Release: 2023年2月4日




Review  

 

今回、日本のエレクトロニカシーンの代表格、haruka nakamuraが1月13日に発売された前作のSalyuとの共作『星のクズ α』に続いて、コラボレーションの相手に選んだのは、驚くべきことに女優の鶴田真由さんです。鶴田真由はすでにテレビ、ドラマ、CM、映画、舞台と多岐にわたる業界で活躍していますが、ついに今作で音楽家としてのデビューを果たすことになりました。

 

最近、最初期の『Twilight』『Grace』といった時代から見ると、ピアノ曲が少なくなってきたなという印象のあるharuka nakamuraですが、この最新作では再度ピアノを交えたエレクトロニカに挑戦しています。意外にも思えるコラボレーションを行った鶴田真由ですが、この作品において詩の朗読、 ポエトリー・リーディング、またスポークンワードというような形での参加となっている。

 

ピアノのハンマーの音を生かしたポスト・クラシカル寄りのピアノ曲という点を見るかぎりでは、レーベルメイトであった小瀬村晶や、アイスランドのオーラブル・アルナルズの音楽を彷彿とさせる。

 

そして、淡々とこれらのピアノ演奏が展開されていくなかで、女優の鶴田真由の詩の朗読が加わります。鶴田真由の声は静かで落ち着きがあり、haruka nakamuraの流麗なピアノ音楽と上手く合致しています。両者の演奏における関係はどちらかが主役に立つかというのではなく、その役を曲によって臨機応変に変化させ、さながら水のように流動的な関係性を保っている。純粋な音楽としての提示というより、舞台的な枠組みを設け、ピアノと詩の朗読が一連の物語として繰り広げられてゆく。

 

今回、意外に思ったのは、これまで叙情的でピクチャレスクな音楽という側面からポップ、エレクトロ、ローファイ、モダンクラシカルと様々なジャンルの切り口を設けて作品を提示してきたharuka nakamuraですが、以前よりも感情の起伏に富んだ音楽を生み出しているということ。そしてこのアルバムは、日本のポスト・クラシカルシーンの中でメインストリームに位置づけられる叙情性と繊細さを尊重した作風となっているわけですが、同時に、インスト曲として聴くと、近年のアーティストの作品の中で最も明るさと力強さの感じられる内容となっています。

 

さらにまた、ピアノだけではなくて、これまでのharuka nakamuraの音楽の核心にあるアコースティックギターを中心とした楽曲は、福島のpaniyoloにも近い自然を寿ぐかのようなフォーク・ミュージックを思い起こさせる部分もある。そして、このアーティストが得意とするピアノとギターという2つの切り口から綿密に描かれる音楽の中に、さながら子供に童話を語りかけるような語り口で鶴田真由のボーカルが丁寧に乗せられている。そこには謙遜も不遜もなくただ自然な視点と姿勢で言葉が紡がれていく。そして、丹念にひとつずつの発音を大切にして読み上げられる朗読は、確かにその言葉から風景やシーンを換気させる力を持ち合わせているわけです。これは舞台や映画、ドラマをはじめとする豊富な経験を通じて、言葉の持つ力を信じ抜いている証拠でもある。ひとつひとつの言葉は、その内容が語り手により内的に吟味されているため、聞き手のこころ、もしくは頭の中にすっと入ってきて、物語のイメージを発展させていくのです。


『archē』は単なる両者のコラボレーションというには惜しいアルバムです。これは音楽家と舞台女優の織りなす12曲からなる自然な形のストーリーとも言えます。音楽と言葉という2つの要素から引き出されるイマジネーションを深く呼び覚まさせるような作品になっていると思います。

 

 

80/100

 

The Waeve 『The Waeve』 

 

 

Label: Transgressive/PIAS

 

Release: 2023/2/3



Review

 

 

ご存知のとおり、Blurのギタリスト、グラハム・コクソンと、 ザ・ピペッツのメンバー、ローズ・ピペットのデュオの最新作。

 

このリリースの情報を聞いた時、ブラーの再結成の可能性はないように思えた。同時期にドラマー/法律家のデイヴ・ロウントゥリーも同じようにソロ・アルバムのリリースを間近に控えていた。ところが、ブラーはその直後、オリジナル・メンバーで再結成し、今年多くのヘッドライナー級の公演にこぎ着けた。本国では、ウェンブリー・スタジアムでの公演を控えているほか、フジ・ロックでも久しぶりの来日を果たします。


グラハム・コクソンとローズ・ピペットによるこのデビュー作品には、ミュージシャンとして豊富な経験を持つ両者の音楽的なバックグラウンドをなんとなく窺い知ることが出来る。ほどよいミドルテンポのエレクトロ・ポップは、ブラーの音楽性を引き継いでいるように思えるが、時にサックスのフリージャズ風のフレーズを交えており、UKの最初期のポスト・パンクの前衛性の断片をファンは捉えるかもしれません。しかし、そのアヴァンギャルド性はあくまで掴みやすいUKポップスの範疇に収められています。”良い音楽に触れたい”というファンの期待をグラハム・コクソンは知悉していて、今作では豊富な知識と経験に裏打ちされた作曲能力を遺憾なく発揮している。ファンの期待を裏切らず、見事にそれ以上の高い要求に応えてみせています。

 

このデビュー・アルバムは、その他にもジャズやR&Bの影響を取り入れ、ブリット・ポップの黎明期の音楽や、ビートルズ世代のアートポップ性を巧みに織り交ぜています。時々、キャッチーなフレーズの合間に導入されるご機嫌なギター・ソロ、甘い陶酔を誘うメロウなホーン・セクション、さらにそれと合わさる2人の息の取れた絶妙なコーラスワークは聴き応え十分。この点はポール・マッカトニーやジョン・レノンの普遍的なソングライティングに相通じるものがある。

 

『The Waeve』の楽曲では、両者の音楽家としての役割分担が整然としているように思える。グラハム・コクソンがメインボーカルを取り、一方のローズ・ピペットはバックボーカルの役割に徹しています。これは全体を聴き通したとき、強い芯のようなものが通うかのような印象をリスナーに与える。つまり、このレコードの最初から最後まで、2人のミュージシャンが目指す方向性がぶれずに貫かれているという印象を覚えます。さらに、これまでのブラーの音楽性にはなかった奇妙な甘美性、ニュー・ロマンティックの性質が前面に押し出されているのです。

 

今回のデビュー・アルバムに関しては、蓋を開けるまでは単なるサイド・リリースなのではないかと考えていたが、実際はそうではありませんでした。ここには、グラハム・コクソンのソングライティングの卓越性とUKポップスの重要な継承者としての姿を捉えることができ、ブリット・ポップという枠組みに収まりきらない才覚の輝きが全編に迸る。もちろん、ローズ・ピペットもバックコーラスにおいて素晴らしい仕事をしていることにも注目しておきたいところです。 


 

84/100

 


Young Fathers 『Heavy Heavy」


 

Label: Ninja Tune

Release : 2023/2/4



 

Review 

 

リベリア移民、ナイジェリア移民、そして、エジンバラ出身のメンバーから構成されるスコットランドのトリオ、ヤング・ファーザーズは、一般的にはヒップホップ・トリオという紹介がなされるが、彼らの持つ個性はそれだけにとどまらない。MOJO Magazineが指摘している通り、多分、このトリオの音楽性の核心にあるのはビンテージのソウル/レゲエなのだろう。またそれは”近作でトリオが徹底的に追究してきたことでもある”という。そして最新作『Heavy Heavy』では、多角的な観点からそれらのコアなソウル/レゲエ、ファンクの興味を掘り下げている。

 

しかし、ヒップホップの要素がないといえばそれも嘘になる。実際、ヒップホップはビンテージ・レコードをターンテーブルで回すことから始まり、その後、ソウルミュージックをかけるようになった。ヤング・ファーザーズの最新作は一見、ロンドンのドリルを中心とする最近のラップ・ミュージックの文脈からは乖離しているように思えるが、必ずしもそうではない。トラップの要素やギャングスタ・ラップの跳ねるようなリズムをさりげなく取り入れているのがクールなのだ。


バンコール、ヘイスティングス、マッサコイの三者は、自分たちが面白そうと思うものがあるならば、それが何であれ、ヤング・ファーザーズの音楽の中に取り入れてしまう。その雑多性については、他の追随を許さない。もちろん、彼らのボーカルやコーラス・ワークについては、ソウル・ミュージックの性質が強いのだが、レコードをじっくり聴いてみると、古典的なアフリカの民族音楽の影響がリズムに取り入れられていることがわかる。また、UKのドラムン・ベースやクラブ・ミュージックに根ざしたロックの影響を組み入れている。これが時にヤング・ファーザーズが商業音楽を志向しつつも、楽曲の中に奥行きがもたらされる理由なのだろう。

 

『Heavy Heavy』は、トランス、ユーロ・ビート、レイヴ・ミュージックに近い多幸感を前面に押し出しながらも、その喧騒の中にそれと正反対の静けさを内包しており、ラウドに踊れる曲とIDMの要素がバランス良く配置されている。さらにアフリカのアフロ・ソウルを始めとするビート、ゴスペル音楽に近いハーモニーが加わることで新鮮な感覚に満ちている。ヤング・ファーザーズが志す高み、それは、ザ・スペシャルズのスカ・パンク世代の黒人音楽と白人音楽の融合がそうであったように、国土や時代を越えた文化性に求められるのかもしれない。実際、歌詞やレコードのコンセプトの中には、人種的な主張性を交えた楽曲も含まれている。

 

この最新作で注目しておきたいのは、ジェイムス・ブラウンに対する最大限のリスペクトをイントロで高らかに表明している#3「Drum」となるか。アンセミックな響きを持つこの曲は、ラップに根ざしたフレーズ、ダブ的な音響効果、ソウル・ミュージックを中心に、パンチ力やノリを重視し、アフリカの音楽の爽やかな旋律の影響が取り入れられている。ループの要素を巧みに取り入れることにより、曲の後半ではレイヴ・ミュージックのような多幸感が生み出される。


続く#4「Tell Somebody」は、この最新作の中にあって癒やされる一曲で、最後に収録されているしっとりしたソウル・バラード、#10「Be Your Lady」と合わせて、クラブ的な熱狂の後のクールダウン効果を発揮する。他にも、ドリル、ギャングスタ・ラップをDJのスクラッチの観点から再構築し、エレクトロと劇的に融合させた#6「Shoot Me Down」も個性的な一曲である。その他、ドラムン・ベースの影響を打ち出した#9「Holy Moly」も強烈なインパクトを放つ。

 

この新作において、ヤング・ファーザーズは、ブラック・カルチャーの特異な思想であるアフロ・フューチャリズムのひとつの進化系を提示しようとしており、また、同時に既存の枠組みに収まるのを拒絶していて、ここに彼らの大きな可能性がある。ヤング・ファーザーズの一貫した姿勢、ご機嫌な何かを伝えようとするクールな心意気を今作から読み取っていただけるはずだ。

 

 

82/100

 

 Gena Rose Bruce 『Deep Is The Way』

 

 

Label: Dot Dash

Release: 2023年1月27日

 




Review 

 

近年、ジュリア・ジャクリン、ステラ・ドネリーを始め、 個性派の女性SSWを輩出しているオーストラリア、特に、メルボルンのミュージック・シーンに我こそはと言わんばかりに三番目に名乗りを挙げたのが、今回、ご紹介するジェナ・ローズ・ブルースというシンガーソングライター。

 

この2ndでは、2019年にデビュー・アルバム『Can’t Make You Love Me』とタッグを組んだプロデューサー、ティム・ハーヴェイを招聘し、レコーディングされている。追記としては、米国の渋いフォークシンガーソングライター、ビル・キャラハンが今作に参加している。


ジェナ・ローズ・ブルースは、それまで計画していたプロジェクトやライブ活動をパンデミックによりすべて白紙に戻さねければならなかった。記憶に新しいのは、オーストラリアではかなり厳し目のロックダウンが敷かれていたせいもあってか、パンデミック後期の民衆の反動も凄まじいものだった。ローズ・ブルースは、音楽家以外にもうひとつのライフワークに置いているガーデニングで、これらの厳しい時間をどうにかやり過ごし、癒やしの時間を過ごしたという。


この2ndアルバムは、ある意味では近年のオーストラリア/メルボルン周辺の音楽シーンのトレンドが色濃く反映された作風になっている。ビル・キャラハンが参加していると聴くと、フォーク・ミュージックを予想してしまうが、このアルバムはファニーな雰囲気に彩られたインディーポップが中心となっている。また、そこにはシンディ・ローパーの時代のディスコポップの影響も片々に見受けられる。さらにトラック全体にはリミックス段階においてかなり癖のあるエフェクトがかけられ、時にダブのようなコアな手法が取り入れられている。単なる口当たりのよいポップスとしてなめてかかろうものなら、痛い目をみることは必須なのだ。

 

このアルバム全体には、このアーティストの夢想的なキャラクターが乗り移っている。これらのソングトラックはある意味ではファンタジックなポップとも称せるかもしれない。ところが、夢想というのは必ず日々直面する創作者の日常生活の中から汲み出される思いが込められている。ジェナ・ローズ・ブルースはこれらの曲をさらりと歌い上げ、そしてそれは可愛らしさを誇張しているように見える。しかし、実際はそうではない。このアーティストがパンデミックで直面した社会に対する反骨精神が楽曲の節々に反映され、この点が作品全体に強いスパイスをもたらしている。口当たりの良いディスコ・ポップ、まったりとしたエレクトロ・ポップ、多くのリスナーは表面的には今作にそういった印象を汲み取るかもしれない。だが、これらのポピュラー・ソングは飽くまで掴みやすさを重視しながら、その内奥には強い芯のようなものが感じられるのだ。

 

また、60,70年代のポピュラーミュージックの影響やクラシック・ロックの影響がさりげない形で楽曲の中に取り入れられているのにも注目しておきたい。例えば、「Misery and Misfortune」では、The Whoの「Baba O' Riley」を彷彿とさせるシンセサイザーが導入されている。また、ビル・キャラハンとのデュエットを行ったタイトル・トラックでは、往年の名ポピュラー・ミュージックの甘いメロディーをしっかり受け継いでいる。その他、「Morning Star」は、セリーヌ・ディオンを師と仰ぐジュリア・ジャックリンに比する深みのあるポピュラー・ソングである。また、メルボルンの現在の音楽シーンの影響を受けた儚いバラード・ソング「I’m Not Made To Love With You」も、レコードの終盤にささやかな華を添えている。ファンシーさとブルージーさ、それらの表向きと裏側にある一見相容れないように思える両極端の印象が、このレコード全体にせめぎ合っている。幸せ、悲しみ、安らぎ、苛立ち・・・、実に多種多様な内的感情が複雑に織り込まれていることもあって、じっくり聴きこんでみると、なかなか手ごわい作品となっていることが分かると思う。


84/100



Parannoul 「After the Magic』

 

 


 

 

Label: POCLANOS

Release: 2023年1月28日

 

 

Review

 

韓国/ソウルを拠点に活動するプロデューサー、パラノウルは、これまでオーバーグラウンドのK-POP勢とは明らかに異なるスタンスを採ってきた。

 

デビュー・アルバム『To See The Next Part Of The Dreams』ではシューゲイズとノイズとエレクトロニカ、『Let's Walk on The Path Of A Blue Cat』ではギターロック/ポスト・ロック、そして『Down Fall Of The Neon Youth」ではエレクトロニカ中心のインスト曲、これまで作品ごとにパラノウルはその音楽性を微妙に変化させてきた。


そして、以前にも指摘したように、パラノウルは、日本語のサンプリングを曲の中に導入し、エレクトロ・サウンドの中には、コーネリアスの影響が感じられる。彼は日本文化やそのミュージック・シーンに愛着を感じてくれているように思える。これはとてもありがたいことである。さらに言えば、パラノウルの音楽性に内包されているのは、令和時代のJ-Popではなく、一世代古い平成時代のJ-Pop、特に、シティ・ポップの後の時代の渋谷系(Shibuya-Kei)の影響である。

 

二、三年の間に自主制作という形ではあるが、四作のフルアルバム、それに付随するEPのリリースはこのアーティストの多彩な才能を示している。特に最初期の作品では、青春の憂鬱の色合いを感じさせる疾走感のあるドリームポップ/シューゲイズ・サウンドがパラノウルというアーティストの重要なキャラクター性を形成していた。


しかし、今回の最新作『After The Magic』と銘打たれた最新のフル・レングスでは、最初期の青春性ーーエバー・グリーンな感じを与えるラフな音楽性ーーから脱却を試み、よりミドルテンポのオルタナティヴ・ロックを作品の中心に据えた。題名に込められた「After the Magic」の意味は、以前の作品がストリーミングやカセットテープ形式の発売であったにもかかわらず、海外の大手音楽メディアに取り上げられ、存外な注目を受けたことに対する感謝の思いがきっと込められているのだろう。

 

ホーム・レコーディングにより制作された既存のアルバムに比べると、この最新作はじっくり腰を据えて作り込まれた作品であるように感じられる。それはミュージシャンとしての精神的な成長ともいえる。楽曲の節々には、以前にはなかったフックのような取っ掛かりがあるし、その歌声には以前よりフレーズそのものを大切に歌い上げようという意図も見受けられるようになった。そのことによって、より壮大なスケールを持つポストロック曲「Arrival」も生み出された。これは、より彼が音楽というものに対する印象が、憧憬から敬意に変じた瞬間と言える。そして、以前のコーネリアスのような平成時代の渋谷系のJ-POPの要素を残しつつ、加えて、MBVやMogwaiのようなレイヴ・ミュージックからの影響、Alex G、Jockstrapに象徴されるストリングスのような楽器を取り入れたモダン・オルタナティヴ・サウンドをここに導きだしている。

 

今回、三部作のような形であった最初期の時代を超えて、ソウルのパラノウルは、既存の成功に耽溺することなく、次なる創造的な領域へと進み始めている。この最新作において、米国のオルタナティヴの最前線のアーティストの音楽に引けをとらない音楽性となったのも、パラノウル自身がカルト的ではありながらも、世界的に注目されるようになったことを自覚したからなのだ。


アーティストは、まだインディーズシーンで予想外の注目を受けていることに戸惑いながらも、着実にミュージシャンとしての階段を一歩ずつ上っている。ファンとしてはこの新作アルバムを聞きながら、パラノウルが今後どのようなアーティストに成長していくのか楽しみにしていきたいところだ。彼の掲げる「夢の続き」は、これからもきっと素敵な形で続いていくだろう。

 

82/100